サラスヴァティーという名前を知らなくても弁天様なら誰でも知っている。
正式名称は弁財天。 広島宮島弁財天、滋賀の竹生島、そして神奈川の江ノ島弁財天が日本三大弁財天として知られているほか、一頃、芸能の神様として有名になった奈良の天川神社も弁才天を祭っている。このうち訪れたことがあるのは天川神社だけだが、昔のことで写真がない。というわけで、上の写真は東京西国分寺の真姿(ますがた)弁才天。
写真といえば、肝心のサラスヴァティーの写真がほとんどない。インドではいたるところで神様写真を撮っているが、サラスヴァティーの写真はなぜか見当たらない。
写真によってサラスヴァティーの姿を見せられないのが残念だが、それもまた、サラスヴァティーの真の姿にふさわしいと言えるのかもしれない。サラスヴァティーはじつは見ることの非常に難しい神様なのだが、そのことを書く前に、一般的な説明をしておきたい。
サラスヴァティーの表の顔は、知恵と芸術と幸福を司る非常に聡明で美しい女神の姿である。一般的には、手には大きな楽器(ヴィーナ)、ヴェーダ経典、数珠を持つ。サラスヴァティーを一言で表現するなら、「才色兼備」ということになるだろう。
サラスヴァティーはまた、インド三大神ブラフマーの神妃でもある。ブラフマーは創造の神でもあり、またバラモン階級の象徴でもある非常に由緒正しき神である。シヴァやビシュヌに比べると勢いはないものの、それでも充分に高貴な神様である。
しかしサラスヴァティーがブラフマーの神妃になった事情はあやしげだ。サラスヴァティーはじつはブラフマーの娘でもある(これも疑わしいが…)。それが父親にストーカーのように付きまとわれて仕方なく神妃になったとされている。さらにある伝説によると、父親ブラフマーがシヴァに首を切られたときに、サラスヴァティーも同じように惨殺されている。
インドの伝説は錯綜しているのでこれがすべてではないが、いずれにしてもサラスヴァティーが完全な幸福を享受しているとは言い難い。
サラスヴァティーは川の神でもある。彼女の奏でる音楽が素晴らしいのはおそらくそのせいだが、この女神の真の姿は、川の神と聞いて普通の想像するような清流ではない。サラスヴァティーの本当の姿は地中を流れる謎の川である。
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