chaichai > フォトエッセイ > 博物館で出会ったヒンドゥーの神々

ホーム

フォトギャラリー

写真で見るインド

インド旅の雑学

フォトエッセイ

ブログ

プロフィール

 

博物館で出会ったヒンドゥーの神々(1)

フォトエッセイ メニュー


この連載でとりあげる博物館は二つ。ニューデリーとコルカタにある国立博物館である。どちらもインドを代表する規模を誇っており、展示内容は充実している。

デリーではインダス文明関連の遺物が豊富にあったが、残念ながら撮影禁止であった(ものすごく撮りたかったが…)。一方、コルカタでは自然科学に関するもの、たとえば動物の剥製やわけの分からない薬草とか菌などに関する、いかにも古めかしい展示物が魅力であり、見ようによっては博物館というより、むしろお化け屋敷のような魅力がある。

これらの博物館は、ゆっくり見学すればまる1日は楽しめる。しかし、僕は個人的に、ただ見学するというのが苦手なほうなので、 出来れば写真を撮りながら歩きたい。そこで、いろいろ撮ってきたのが神々の彫像。熱中すると、まるで人間を撮るようなおもしろさがある。しかも、博物館に集められたものは一級品ばかりだ。

撮影のついでに説明書きもチェックしてきた。神々の名前も制作地域も年代も分かるので、それにちょっと適当な説明と感想などをつけて4回連載で紹介していく。

ということで、 さっそく彫像を紹介していきたい。
 
10世紀、北ベンガルで作られたバイラヴァ(コルカタ国立博物館)

バイラヴァとは破壊の神シヴァの恐ろしい性格を抽出した呼び名。ちょっと太り気味であまり怖い雰囲気ではない。ただ、中心となる左手に持つ三叉の槍(トゥルシー)に髑髏が引っ付いている。また、一番下の左手がつかんでいるのは、少し分かりにくいが蛇である。 額には第三の目がのぞいている。怒ると、第三の目から強力な光を噴射し、すべてを灰にしてしまう。

一つ気になるのは、バイラヴァに踏みつけられている下の男。しかし、表情を見るとおだやかで、まるで眠っているようでもある。一般的には、こうした構図は恐怖の女神カーリーとシヴァとのあいだで表現される。ちなみに、その場合はカーリーが上で、シヴァは下で横になる。

以下は 勝手な想像になる。寝ているのはたぶんシヴァ自身ではないだろうか。たとえば、ちょっとした戦いに、いちいちシヴァが起きて、戦いにいくのは面倒くさい。そこで、シヴァが持つ強大な怒りのエネルギーをバイラヴァという形に結実させ、戦いの場に送り込む。シヴァがのんびり寝ているあいだにも、バイラヴァは敵を平然と殺戮し殲滅する。そんなシヴァの偉大さを表現したものではないだろうか?
 

10世紀、南インドのブラフマー(ニューデリーの国立博物館)

ヒンドゥー教における三大神(トリムリティー)の一角を担う神様ブラフマー。古くは宇宙の真理を具現化した神様として特別扱いされたが、その後人気は急降下。最終的には新興勢力であるシヴァに首を切られてその威信も地に堕ちてしまった。ブラフマーをまつる寺もほとんど存在せず、有名どころでは秋の家畜祭りで有名なプシュカルぐらいだ。

ブラフマーはインテリの神様だが、それを鼻にかける嫌味な性格が人気凋落の原因になったらしい。また、その神妃はサラスヴァティー(弁財天)だが、じつはサラスヴァティーはブラフマーの娘、その娘にストーカーとなって付きまとい、強引に妻にしたと伝えられている。

10世紀作の彫像は、いかにもブラフマーらしい、つまり、どうでもよさそうな雰囲気をよく伝えている。三大神だからとりあえず巨大に作られたが、存在自体が凡庸なので、どこか間延びした感じが否めない。

 

12世紀、マディヤプラデシュ州のチャームンダー(ニューデリーの国立博物館)

上のブラフマー像とは打って変わって土俗的かつ力強い彫像。チャームンダーとは大地母神。つまり女神だが、インドで女神といえば、出自もあやしげな土地の精霊であり、さまざまな黒魔術の象徴として崇拝されてきた恐怖の神様、という認識が一般的だ。有名なものとしては、いずれもシヴァの神妃だが、カーリーやドゥルガーが挙げられる。チャームンダーもその流れにある(チャムンダはドゥルガーと同一視されることもある)。

12世紀と決して古くはない。しかし、インドでもっとも謎めいた土地であるデカン高原から生み出された彫像だけあって、複雑怪奇なイメージで構成されている。

個別に見ていく。中心となる左右の手に持つのはすり鉢だろうか。女神だけあって、これは食べ物をイメージしているのだろうか。唯一、ここだけは平和的な味付けになっている。

その他はどうだろう?まず左手の一つに髑髏をくくりつけた棒を持つ。さらに円盤が描かれているが、そこでは大柄な手が複雑な印を結んでいるようだ。一方、右手にはシヴァの三叉の槍(トゥルシー)、大柄な刀、さらにこれまたシヴァの象徴であるダムルという太鼓が握られ、またダムルのすぐ下には、判然としないが、もしかすると鹿などの角も見え隠れする。

女神の左右の女従者もそれぞれ武器を手にしている。さらに踏みつけられた男がいるが、チャームンダーがカーリー女神と同格の女神であるとすると、これはシヴァである。

カーリーが旦那のシヴァを踏みつける理由は諸説ある。たとえば単純なものでいえば、女神カーリーはじつは旦那のシヴァより偉くて強いから、といった説明にもなるし、前に登場したバイラヴァ同様、女神はシヴァの暗黒面から、夢という領域を伝わってこの世に具現した存在とも考えられる。あるいはまた、寝ているシヴァの男根がカーリーを刺激し、元気を与えているといった珍妙な説もあるが、インドでは、案外、こうした珍妙な説ほど真実を伝えていることがある。

 

12世紀、カルナータカ州ハレービードのデーヴィ(コルカタのインド博物館)

南インド、カルナータカ州南部に位置するハレービードはベルールと並んで、非常に精細な彫刻が刻まれた寺として名を馳せている。精細さという面では、ヒンドゥー彫刻としてはインド随一である(ジャイナ教彫刻もまた、非常に精細な彫刻技術を持っている)。IT都市、バンガロールからもそう遠くはないので、今後、観光地としても発達するだろう。

ただし、ハレービードを一度見たものとして素直な感想を言えば、 何か物足りない。精細なのは分かるが、結局それだけで、肝心の感動というものがなぜか少ない。12世紀ごろのインドは、場所によっては文化の絢爛期だったようだが、絢爛期というのは、一方ではマンネリ化が相当すすんでいる段階でもある。つまり技術ばかりで心の部分がすでに退化しているのである。

インドの神様を刻んだ彫像の世界では、さらに昔の時代、たとえば5世紀から8世紀ぐらいのものに、心を動かされる名品が多い。あくまで個人的な感想だが…。

上はデーヴィ、つまり女神の彫像だが、ハレービードでは何でもこんな感じなので、女神としての特別な情感が失われている。すぐ上で説明したチャームンダー像と比較すればそれはあきらかだと思う。

 

12世紀、南インドのデーヴィ(ニューデリーの国立博物館)

ブロンズ像、つまり青銅で作られた神像である。こうしたブロンズ像は、雨露の中に置くとあっという間に寂びてしまうので、当然、屋内で使用されたものだろう。はっきりは分からないが、おそらく当時の王朝宮殿のなかで祭られていたか、あるいはインテリアの一つとして飾られていたのかもしれない。

上の女神像はたしかに美しいが、思わず畏敬の念を抱いてしまうような迫力などはまるで感じない。このあとも、いくつかブロンズ像を紹介する予定だが、これらが結局、すべてインテリアの類だとするなら、その他の寺院に刻まれた神像とは別物と考える必要があるだろう。

制作時期は上のハレービードと同じく12世紀。それ以前の古代人が抱いていた神々への畏敬の念というのが、時代とともに大きく推移していった様子がうかがえる。

 
7世紀、ラジャスターン州のドゥルガー(ニューデリーの国立博物館)

シヴァの神妃の一人ドゥルガーである。カーリーと同じく殺戮の女神だが、ドゥルガーの特徴はその美しい姿にある。絶世の美女が表情一つ変えずに平然と殺戮を繰り返す姿が、カーリーやシヴァとは違った恐怖を呼び起こすのだ。

しかし、上の彫像はあまり美しくない。というより、少し醜悪である。ただし、顔や胸に、意図的に削られたようあとがあり、微妙である。頭のイボイボの感じがまるで不動明王のようだ。

左手が破壊されているので持ち物がはっきりとしない(ビシュヌの円盤と想像だと思われる)。右手のほうには武器が二つ。シヴァからもらった三叉槍(トゥルシー)と、もう一つは刀だろうか。下に二匹の間抜けが動物が見えるが、これは乗り物であるライオンだろう。通常は一匹の獰猛なライオンに乗った姿で描かれるが、この彫像では左右に控える狛犬のような雰囲気になっている。

また、このドゥルガー像にはアスラの姿も見えない。アスラというのは、ドゥルガーが退治した魔神であり、その胸を槍で貫く絵柄がドゥルガー芸術の極地なのだが、それがなければこれがドゥルガーかどうかも分からない。

こうした特長から想像するに、これはドゥルガーの原風景、ということではないだろうか?

ドゥルガーは、三つ前に紹介したチャームンダーと同一視されることもあるらしいが、この彫像を見る限り、まさにこれはチャムンダそのものといってよいだろう。ちなみにドゥルガーの出身はデカン高原の森の奥だとされている。
 
瞑想するブッダ(コルカタのインド博物館)

最後はブッダ。 説明がなかったので制作時期や場所は不明。僕自身、あまり仏教美術に関心がないので、その辺も見当がつかない。

ヒンドゥーの神々とは一見してかなり雰囲気が違う。 かなり古いものだと思うが、調和のとれた静けさ、写実的な体のバランスなどを見れば、何か西洋的な趣もある。このブッダ像に比べると、ヒンドゥー神像はすべて、たとえばピカソが影響を受けたとするプリミティブ(民族)芸術、といった風に見えて興味深い。

もちろん、どちらが優れているといったものではなく、これらはまったく別物である。個人的な趣味からいえば、僕はヒンドゥーの神像に圧倒的な親近感を持っているわけだが、おそらくインドの人々もまた、このようなブッダ像にたいして、なんだかつまらないな〜、という感想を持ったにちがいない。つまり感性の違いだが、仏教がインドで根付かなかった理由もその辺にあるのだと思われる。

ちなみに、今回、こんな企画を思いついたのも、僕自身の感性に理由がある。つまり、日本人としてはあまり一般的ではないかもしれない自分の感性で、神々の彫像について何かを書いてみたい、というのがまず最初にあった。専門的な話は出来ないにしても、この彫像はこんな風に見るんじゃないのか、という自分なりの意思表明になるかもしれないと、僭越ながら考えたのである。

−−−−−−−−−−−−−−

「博物館で出会ったヒンドゥーの神々」は4回連載です。それぞれ(2)(3)(4)へもどうぞ。


−−−−−−−−−−−−−

(当HP内、インド神様記事へのリンク集)

主要記事

殺戮の女神カーリー
ゾウの神様ガネーシャ伝説
シヴァという世界観
悪霊シヴァの起源
じつはインド最強ドゥルガー女神
水の女神サラスヴァティー
ダキニ(黒魔術の系譜)
猿の神様ハヌマーン
ナーガ(1)蛇神ナーガの系譜
ナーガ(2)蛇神ナーガと日本
宇宙の主ジャガンナート神
シヴァとビシュヌの子アイヤッパン
インドの神々(概要)

ページ内小さな記事
(これらの記事は「博物館で出会ったヒンドゥの神々」
各ページ内の特定の場所にリンクしています)


破壊神シヴァの化身バイラヴァ
没落したインド三大神の一つブラフマー
大地母神チャームンダー
殺戮の女神ドゥルガー
天の川の女神ガンガー
鳥の神様ガルーダ
最強の神ハリハラ
生首を手にしたカーリー女神
鬼族の守護神クベーラ
マヒシャを殺す女神ドゥルガー
シヴァの息子にして軍神カールッティケーヤ
半獣半人の神ナラシンハ
猪顔の神ヴァラーハ
シヴァと並ぶ最強最大の神ビシュヌ
リンガ伝説

その他インドの神々関連記事

動物と神様とインド人
日本にもいるインドの神様
ムルガン神の聖地パラニ







サドゥ 小さなシヴァたち

インドの放浪修行者
サドゥの本へのリンクです。
ご覧ください。






インド、ネパールなど南アジアの写真chaichaiへ



(C)shibata tetsuyuki since2007 All rights reserved.
全ての写真とテキストの著作権は柴田徹之に帰属しています。
許可なく使用および転載することは禁止です。ご留意ください。