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博物館で出会ったヒンドゥーの神々(4)

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7世紀、南インドのビシュヌ(ニューデリーの国立博物館)

ヒンドゥー教は大きくシヴァ派とビシュヌ派に分けられる。シヴァ派は破壊の神シヴァを中心に、恐ろしい女神たちやあやしげな息子たち、さらに土着の鬼神たちや動物神などによって形成される、ときに原始的で、自然のパワーを前面にいかした宗教観を持っている。

反対にビシュヌ派は、その化身である、ラーマ王子やクリシュナ、あるいはブッダなどの物語を通じて、人間のあるべき道を問い、理想的な社会を追求するといった規範的な宗教観が軸になっている。

どちらが良い悪いといったものではなく、この二つの宗派が車の両輪になって社会を支えていると見て間違いないだろう。一般的にはビシュヌ派が社会の表の顔であり、シヴァ派が裏の顔である。

ところで、このホームページで伝えているものは圧倒的にシヴァ派に関することである。これまで、ラーマ王子やクリシュナ、あるいはブッダに関することはほとんどとりあげたことはない。個人的なホームページにおいて別にバランスをとる必要もないわけで、だからこそ、今まであまり省みられなかったシヴァ派の特性を紹介していけるのでは、という考えを持ってきた。

思うに、シヴァ派かビシュヌ派かという違いは、この世をどのようなフィルターを通して見ていくのか、という違いかもしれない。フィルターなどを通さず、真実を見なければ、と言われるかもしれないが、それは案外難しい。人はそれぞれ、さまざまな素性に生まれ、さまざまな環境で育つ中で、拭い去ることが出来ない特性と価値観のなかで生きていく。それは自分自身といってもよいし、それが消えれば自分がなくなる。

付け加えておくと、僕はシヴァ派かビシュヌ派かで悩んだことなど一度もない。気がつくと、シヴァ派の神々や人々、あるいは動物(神)たちが胸のうちにしっかりと根を下ろしていた。

前文が長くなった。今回はビシュヌである。シヴァと並んで、神々の世界を統治する巨大な存在だが、じつはシヴァほど目立つ存在ではない。たとえば、ビシュヌの聖地は、と質問されてもすぐには答えが出てこない。

ビシュヌ派の信者もまた、ビシュヌ自身を拝むというより、その化身を信仰している。それはすでに書いたように、おもにクリシュナとラーマ王子である。ラーマ王子の場合は、その妃であるシータと、ご主人夫妻を守り抜くため、必死の戦いに挑んだ猿王ハヌマーンも含まれる。これらの神々が活躍する神話が、ビシュヌ派信者たちの心のよりどころとなっている。

ビシュヌが神話に登場しないわけではない。ただし、前にも書いたように、ビシュヌの活動は、その大半が睡眠である。一方のシヴァが、セックスやダンスやヨーガ、あるいは戦争などに没頭しているあいだ、ビシュヌはアナンタ龍王に抱かれ、ただただ安らかな眠りに終始している。

ところで、この二大神であるシヴァとビシュヌは、いったいどちらが偉いのか、という論争がかなり昔から行われてきた。その結果はさまざまだが、一部、変わった説がある。つまり、シヴァがいくら偉いといってもビシュヌに比べれば足元にも及ばない、といった主張なのだが、じつはここにビシュヌの本質があるのかもしれない。

シヴァはこの世におけるあらゆるエネルギーに関係している。エネルギーの中枢となって激しく活動するシヴァはやはり目立つ存在である。シヴァを見た、というインド人は珍しくもないだろうし、一方で、俺は(も)シヴァだ、と言い張る宗教者も存在する。偉大なシヴァは、ある意味、親しみやすい神でもあり、たとえばシヴァの家来だと主張している集団など、放浪民を中心にいくらでも存在している。

一方ビシュヌは違う。存在自体がひどく遠い。そしてあまりに次元が違う。一説によると、人の人生というのはビシュヌのわずかなまどろみ、つまり一呼吸に過ぎず、神々の人生もまた、ビシュヌの一昼夜の夢に過ぎない。もちろんシヴァも例外ではないし、ビシュヌの化身であるクリシュナやラーマ王子、あるいはブッダも同じだ。次元が違うということでは、もはやビシュヌが存在するかどうかさえあやしく、だからこそ、ビシュヌ派はクリシュナやラーマ王子を主役に立てる必要があった。

ビシュヌがそれほど遠い存在だというなら、おそらくその思想哲学も非常に難解なものに違いない。当然、僕にそれが分かるはずもなく、また同様に、大多数のインド人にとっても、それは非常に遠い世界だ。それに比べれば、クリシュナやラーマ王子の神話から生まれてきた思想哲学は何とか一般庶民の手に届くものだった。

「ビシュヌは遠い」という話同様、なかなかビシュヌの彫像に話題がいかない。上の写真は7世紀のもの。威風堂々とした風格を前にして、なんとコメントしたらいいのか、やはり分からない。ちなみに右手に持つ武器がビシュヌがつねに持つ円盤で、敵に投げつけると、労せずして相手を切り刻むという恐ろしいもの。

上は8世紀、南インドのビシュヌ(ニューデリーの国立博物館)
下は12世紀、南インドのビシュヌ(同じくニューデリーの国立博物館)


二点、続けてビシュヌである。あまりに偉大なせいか、やはり説明が難しい。それぞれ左手に持つのはほら貝である。

11世紀、ビハール州の女神ウマーとマヘシュワラ(コルカタのインド博物館)

女神ウマーとはパールヴァティーであり、マヘシュワラとはシヴァである。この仲の良い夫婦がまたいつものようにカイラスのてっぺんで乳繰り合っている場面である。ヒンドゥーの世界ではお馴染みだが、知らない人にとってはちょっと違和感のあるこうした彫像や絵画が、インドには無数に残されている。

上にビシュヌ神の三体の彫像を紹介したが、同じ二大神でも、シヴァとビシュヌはまるで違う。宇宙的な静けさにたたずむビシュヌに比べて、シヴァ夫妻はなんとも躍動的である。たとえば足の格好や体のねじれ、さらに手の位置にも注目してほしい。とくにパールヴァティーはかなり無理がありそうな格好をしているが、さらに右手をシヴァの右肩までのばして、なんだかご機嫌な様子である。シヴァもその左手は、なぜか上のあらぬ方角へと向けられている。

5世紀、マディヤプラデシュ州のシヴァリンガ(ニューデリーの国立博物館)

ご存知(?)シヴァリンガ。つまりシヴァの男根を神としたものだ。こんなワイセツな神がいるとは、と驚く日本人がいるようだが、じつは日本にもこの手の彫像、というか神がたくさん存在している。日本の奇祭、などを調べてみればすぐに登場するだろう(日本のものは形がもっとリアルである)。先日も、関東近郊の神社で偶然見つけた。おそらく、日本国内には相当数の(シヴァ)リンガが存在しているはずである。

とはいえ、インドのシヴァリンガは、インド人なら誰一人として知らない者がいないというぐらいのメジャーな神様。日本の男根像が影にひっそりとまつられているのとは訳が違う。

シヴァリンガが世界にお目見えした場面を描いた伝説を紹介する。あるとき(相当昔であるが)、ビシュヌとブラフマーが口論していた。口論の内容は、二人のうちのいったいどちらが偉いか、というお馴染みの話である。そのとき、彼らのかたわらに広がる海から、突如、火を吹きながら巨大な男根、つまりリンガが立ち上がる。二人は口論を止め、その巨大なリンガの上を下を確かめようとしたのだが、皆目見当がつかない。

先程まで争っていた二人は協力して、この不思議なリンガの正体を確かめることにした。ブラフマーは鴨に変身して空へ駆け登り、一方のビシュヌは猪に変身して海へと潜った。しかし、二人の努力もむなしく、リンガは永遠に伸び続けていく。

あきらめたビシュヌとブラフマーは今度はリンガの表皮がぱっくりと割れ、そこから顔が飛び出すのを目撃する。これがシヴァであった。二神はシヴァに礼拝し、シヴァは自分こそがお前たちの起源だと宣言した。

これがシヴァリンガの伝説である。荒唐無稽と思われるかもしれないが、じつはここに、タントラやヨーガ、密教などのルーツがあるとされている。

ちなみに、このときの様子を再現した祭りが南インド、タミル地方のティルヴァンナマライで毎年冬に行われている。たぶん12月だ。

6〜7世紀、マディヤプラデシュ州の大地母神(ニューデリーの国立博物館)

大地母神と書いたが、表記はマザーゴッドネスとなっていた。左右の腕が失われており、膝や足元の子供もかなり損壊しているが、包み込むような優しさと大地にしっかりと根付いたたくましさがよく表現されている。シンプルな造形のなかに美しさがにじみ出ている。

作られたのはデカン高原北部のマディヤプラデシュ州。この地方出土の彫像は、この連載でも多くとりあげている。いずれも土俗的な力強さと美しさを兼ね備えている。ちなみに、マディヤプラデシュ州は美人の多い地域として知られている。
10世紀、マディヤプラデシュ州のナラシニ(コルカタのインド博物館)

前回登場したビシュヌの化身、獅子顔神ナラシンハのシャクティーを抽出して表現したもの。シャクティーとはすべてのモノに宿る女性エネルギーである。つまりナラシンハの女性形、ということだが、わざわざそれを作り出す理由はなんだろう?

世界にはさまざまな思想があるが、おそらく太古の昔においては、自然は女性であり、この世に存在するエネルギーの源泉は女性だと考えられていた。インド自体は男性中心の社会となって久しいが、宗教的あるいは思想的には女性エネルギーであるシャクティーを古くから重視し続けている。その根底にあるのはシヴァ派の宗教観、つまりタントラ思想であるといえるだろう。

6世紀、マディヤプラデシュ州のパールヴァティーとスカンダ(ニューデリーの国立博物館)

この連載の最後はマディヤプラデシュ州出土の女神像が連続して終わることになった。理想的な終わり方だと思う。

上の彫像はシヴァの神妃パールヴァティーとその子供スカンダ。下に控えているのはシヴァの従者、雄牛のナンディーである。女神の背後に光る美しい光輪が印象的だ。神が光臨した感動をそのまま伝えているような彫像だが、一方で、女神の裸像はどこか生々しい。もちろん、色艶など素材の質感がもたらす印象も大きい。

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(最後に)

インドを長く旅するなかで僕は知らず知らずのうちにこうした彫像に魅せられるようになった。近くに古い寺があるなら、ちょっと拝みにいってくるか、といった程度だが、そこで受ける印象はさまざまで、知識など何もないのに、その良し悪しを自然と測るようになった。まったくいいかげんな話だが、それでも僕は自分の審美眼をどこかで信じている。インド各地でさまざまな人間、そして民族と接し、生き神様であるサドゥーと付き合い、ヒンドゥー文化の深層と、より身近に接してきたという自負があるのかもしれない。

彫像といってもこれらは神像でもあり、信仰の対象である。何らかのリアリティーがなければ拝むことも出来ない。リアリティーといってもさまざまだが、土臭いインドの大地にはまた、それに適応した形や質感が自然と育まれていく。人々と自然の交感を通して、その魂がたどりついた姿が理想の神像となって現れてくるのだと思う。

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「博物館で出会ったヒンドゥーの神々」は4回連載です。それぞれ(1)(2)(3)へもどうぞ。


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(当HP内、インド神様記事へのリンク集)

主要記事

殺戮の女神カーリー
ゾウの神様ガネーシャ伝説
シヴァという世界観
悪霊シヴァの起源
じつはインド最強ドゥルガー女神
水の女神サラスヴァティー
ダキニ(黒魔術の系譜)
猿の神様ハヌマーン
ナーガ(1)蛇神ナーガの系譜
ナーガ(2)蛇神ナーガと日本
宇宙の主ジャガンナート神
シヴァとビシュヌの子アイヤッパン
インドの神々(概要)

ページ内小さな記事
(これらの記事は「博物館で出会ったヒンドゥの神々」
各ページ内の特定の場所にリンクしています)


破壊神シヴァの化身バイラヴァ
没落したインド三大神の一つブラフマー
大地母神チャームンダー
殺戮の女神ドゥルガー
天の川の女神ガンガー
鳥の神様ガルーダ
最強の神ハリハラ
生首を手にしたカーリー女神
鬼族の守護神クベーラ
マヒシャを殺す女神ドゥルガー
シヴァの息子にして軍神カールッティケーヤ
半獣半人の神ナラシンハ
猪顔の神ヴァラーハ
シヴァと並ぶ最強最大の神ビシュヌ
リンガ伝説

その他インドの神々関連記事

動物と神様とインド人
日本にもいるインドの神様
ムルガン神の聖地パラニ








サドゥ 小さなシヴァたち

インドの放浪修行者
サドゥの本へのリンクです。
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