脱皮と再生を繰り返す蛇の生命力が、世界を生み出した無限のエネルギーと結びつき、あらゆる生命の根源として世界中で信仰されていた時代がかつてあったに違いない。しかしその後、新たな価値観がしだいに多数派を占めるにしたがい蛇神の多くは没落し、滅亡していく運命をたどった。多神教国家である日本においてさえ今は薄暗い谷間に弁才天の名を借り、小さな祠の主としてかろうじて生き残っている場合がほとんどである。そうした世界の趨勢にあって、今もなお蛇神をさかんに信仰し、蛇使いが珍しくもないインドはやや特殊な世界だといえる。
ヒマラヤから流れ落ちる無数の大河が大地を走って地上を潤し、さまざまな動植物を育む豊かなインドの大地において、人々は自然の恵みや脅威と無関係ではいられなかった。大きな鎌首をもたげ、猛毒を吐き出すコブラの姿は、大自然の生命力や神秘性を象徴する存在として崇められ、そして恐れられたに違いない。
蛇神というと、どこか不気味で、そして危ない印象をもたれがちだが、インド神話では、献身的で、なおかつ理知的な姿をして描かれる場合が少なくない。ブッダに帰依し、その守護にあたった蛇王ムチャリンダの姿はその典型といえるだろう。そこには、昔話にあるような、わがままな大蛇が生贄を要求するような姿は影を潜めている。
男女一対のナーガ像においても、そこから受ける印象は静謐で力強い。先に書いたように、絡み合いながら上へ上へと昇華するナーガの姿は、人体の神秘的なエネルギーであるクンダリニーという概念を生み出した。聖地ハリドワールで出会ったあるナガサドゥーは、「ヨーガはクンダリニーヨーガに尽きる」と断言していた。数あるヨーガはすべて、このクンダリニーを活性化させるための準備体操にすぎない、と。
シヴァはクンダリニーヨーガを身につけることで、他の神を圧倒していったが、その肉体の中心にとぐろを巻いているのが神話的な蛇神である。ヒンドゥー教が世界的に特殊な宗教であり続けるの秘密はまさに蛇にある、といっても過言ではないだろう。
先に、アボリジニの世界で蛇と虹が同一視されていることを書いた。その世界観は虹蛇という名の神話的な動物の姿をとってあらわれるが、それはまた、クンダリニーなどを描いた一部のヒンドゥーの図像に酷似している。
「アボリジニの世界」の著者ロバート、ローラー氏もまた、インドとアボリジニの共通点について、その著書の中で繰り返し指摘している。アボリジニの世界において、蛇は霊的な動物として非常に重要視されてきたわけだが、それは先史時代のインドにおける、知られざる蛇神崇拝に連なるものであったかもしれない。
いずれにしても、ナーガをはじめとする蛇神のイメージは、はるか太古の、いまだ人間と動物が蜜月の関係にあった頃の霊的メッセージがよみがえったものとして、永遠に神秘的な存在であり続けている。
(このテキストは、以前ある雑誌に掲載した内容に加筆補正したものです。下の写真は蛇の王ナーガラジャ、カルカッタのインド博物館)