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ナーガ(1) −蛇神ナーガの系譜−

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二匹の絡みつく蛇の図像がある(上の写真、カルカッタのインド博物館)。二匹はカップルであり、オスはナーガ、メスはナーギィと呼ばれる。その交合からエネルギーを発生させ、生命を作り出す神秘的な動物、さらに不老不死の象徴として、古代から今に至るまで、ヒンドゥー教の世界における重要な役割を果たしてきた。

これらの蛇の図像は神像として信仰の対象にもなっている。特に南インドに、多くその姿を見ることが出来る。この地域では、一般的に生殖機能を司る神として、子供に恵まれない女性から特に崇拝されている(下の写真、タミルナドゥー州)。



蛇がいつ頃より信仰の対象として祀られ、また、神話的動物として認識されはじめたのかは謎である。インダス文明期にはすでにその痕跡はあるものの、それが直接ナーガに結びついたかどうかはあまり言及されてこなかった。

反対に、蛇が古代インドに悪霊として忌み嫌われていた、とする話がいくつかある。古代の伝説では、クリシュナに退治されたカーリヤや、インドラに退治されたヴリトラといった蛇(龍)の怪物にそれは象徴されている。これらはいずれもナーガの眷属と考えられる。

(注)インドラとは、古代の聖典「リグ・ヴェーダ」における代表的な神。軍神でもあるが、 紀元後はシヴァやビシュヌにその地位を奪われ没落した。また、クリシュナはインド三大神の一人ビシュヌの化身として、インドでもっとも人気のある神の一人。横笛を吹く姿が有名。実在した人物がモデルという説もある。

ただし、この二つの伝説にはかなり大きな温度差がある。というのは、クリシュナはカーリヤを懲らしめたあと、カーリヤに対して「海へ去れ」と命じて放免している。たいしてインドラは、酒を飲ましてヴリトラが酩酊したところをだまし討ちにした。蛇の化け物に酒を飲ませてだまし討ちする様子はスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する様子を彷彿とさせるが、それはともかくとして、ヴリトラは殺されて然るべき、という大前提があった。

インドラによるヴリトラ退治はどこか陰謀の影が見え隠れしている。ヴリトラが、伝説に語られるような悪者であったかどうかは今となっては不明である。ただし、ヴリトラをだまし討ちにしたインドラはそのあと没落し、シヴァやビシュヌにとってかわられた。

(注)シヴァとビシュヌはヒンドゥー教における三大神(トリムリティー)のメンバー。ヒンドゥー教は大きくシヴァ派とビシュヌ派に分けることができる。もう一人の神ブラフマーがすでに没落している。シヴァに関することは「シヴァの世界観」あるいは「悪霊シヴァの起源」を参照。



インドラの伝説から二千年以上の時間が経過した。蛇は現在、神々の守護神としての地位を得た。シヴァが頭に蛇を巻きつけ、ビシュヌがアナンタ龍王に抱かれるように眠っているさま(上の写真。南インド、カンチープラム)は、インドラとヴリトラとの関係とはあきらかに異なる。同じヒンドゥー教の中で、どうしてこれほど蛇に対する認識が変化したのかということが問題になるが、その前にまず、ナーガ(ナガ)とナーギィに関する諸問題を整理しておきたい。

インドの北東部ナガランド州からミャンマー西部の山岳地帯にかけて、ナガ族と呼ばれる人々が住んでいる。ナガランドはまさにナガの土地を意味するものだが、実際には、ナガ族という部族名は存在せず、それぞれが固有の部族名を名乗っているらしい。とはいえ、大きくそれが、ナガと呼ばれていることもまた事実である。

ナガの人々は、特にミャンマー側では、つい数十年前まで(現在も…?)首狩りを行っていたことで知られていて、その怪しげな行動からして、蛇との特別な関係が期待されるが、専門家による意見では、特に蛇を信仰するといった形跡はほとんど見られないという。

ただし、ナガは歴史の上では東ネパールを中心地とするキラータ民族とも無関係ではない。キラータというのはマハーバーラタにも登場する勇猛果敢な山岳民族を指すもので、ブッダの出身であるシャカ族もまたキラータ民族の一つであった。

一説によると、シャカ族は蛇神であるナーガの血を引くものであったとされるが、彼らが現在のナガの人々とどのような関連を持っていたのか、興味深いところだ。ナガの人々の、一部の華美な衣装には、あきらかにインドの影響を受けた形跡があり、彼らが遠い昔にインド平原部やキラータの人々と何らかの関わりを持っていたことは十分に想像できる。

(ナガに関しては後藤修身氏のホームページ「エーヤーワディ」「ナガ2001の写真」に詳しい)



インドの放浪修行者集団であるサドゥーにもナガ(ナガス)を名乗る人々がいる(上の写真)。彼らはヨーガに習熟し、シヴァを熱烈に信仰していることで知られている。ナガサドゥーに蛇との関連を直接尋ねたことはないが、彼らが行うヨーガの基本的なエネルギーであるクンダリニーには、とぐろを巻く蛇がイメージされている。そのエネルギーはヨーガを通じて、体中に張り巡らされた気道をつたって天界へと上っていくのだが、それは絡み合う二匹の蛇をイメージしたものであるともいえるだろう。

イメージというのはヒンドゥー教の世界ではまさしく具現したことに他ならないから、彼らナガサドゥーの奇妙な修行はまさしく内なる蛇をよみがえらせようとする試みだといえるかもしれない。また、クンダリニーがつたう気道はナーディーと呼ばれるが、これはナーギィが訛ったものであり、まさしく蛇を意味している。

ナガサドゥーは、そのしなやかな体つきから怪しげな目つきまでがまるで蛇のような生命力を帯び、やがて、さらに高次の次元であるシヴァとの一体化をめざしてどこまでも昇華していくかのようだ。

メスの蛇を意味するナーギィとはインドでは川を意味している。まるで蛇のように蛇行しながら大地を下る様子からこの名が与えられたのは想像に難くない。ナーガでなくナーギィであるのは、大地はもともと女性だとするインド古来の伝統からきているのかもしれない。人の体をクンダリニーが走っていくように、大地には女神ナーギィが走っていく。なかにはサラスヴァティーのように、地中奥深くを走る川もあり、これらすべてにナーギィの名が与えられているのは見過ごすことが出来ない。それは他方、クリシュナやインドラが退治した蛇の怪物もまた、本来はこうした女神であったかもしれない、ということを意味するのではないだろうか。

この仮説の上にたってみれば、先に書いたカーリヤやヴリトラに与えられた暴君的なイメージもまた、蛇を忌み嫌う当時の征服者によって押し付けられたものであった可能性が強い。実際、ヒンドゥー(バラモン)教の黎明期における支配者のほとんどが、もし定説のように中央アジアからやってきたアーリア系だったとするなら、それまでインドの大地を潤してきた女神を敵視するのもまた不思議ではない。その象徴として蛇神が蔑まれ虐げられてきた時代がインドにもあった。それはまた、蛇の家系に連なるインド先住民にとっても受難の歴史であった。

インドにおける蛇の重要性は、おそらく太古の昔から続くものであったと思われるが、それを知るには、仏教やジャイナ教、そして、これらの新宗教の影響を受けて再びよみがえったヒンドゥー教を検討する必要がある。

ブッダがナーガの血を引くものであった可能性についてはすでに書いたが、さらに、修行中のブッダを、蛇王ムチャリンダが盾の役割を果たして雨や風から守ったことがよく知られている。

似たような話はジャイナ教にも見られ、ジャイナ寺院の一部にも蛇の姿を見ることが出来る。仏教やジャイナ教は、それまでバラモン中心であった宗教的支配にたいする精神的革命としておもにバラモン以外の階級層から支持されてきた側面が強かった。そこには当然、インド土着の文化の復興が見られたが、その一つの象徴が蛇であったと考えられる。

しかし、蛇が精神的動物として完全な復活を遂げるためには、さらに新たな神の存在が不可欠だった。その役割を果たしたものこそがシヴァであったと考えられる。

シヴァと蛇との関係を整理する前に、先に書いた、クリシュナとインドラの、蛇の怪物にたいする温度差について書き記しておく必要がある。時代的にはインドラがバラモン全盛時代で、クリシュナが、その後の時代だと考えるのが妥当だろう。

大地の女神でもある蛇に対して、卑怯なまでのやり方で殲滅してしまおうとするインドラには、当時のバラモン階層の驕りが見え隠れしている。たいするクリシュナは蛇王に対して非常に同情的ですらある。というのも、蛇王カーリヤが海に逃れるのであれば、蛇の天敵である鳥の神様ガルーダから永遠に守ってやる、という約束まで交わして放免している。この伝説には、すでにインドラ時代とはまったく異なる価値観が描かれている。

一説によると、クリシュナはアーリアと先住民のハーフだったとされている。その肌の色が黒く、あるいは青く描かれるのもその為だと考えられているが、そうであるなら、蛇王に対する同情も当然のものだといえるだろう。

ビシュヌと、その化身であるクリシュナやブッダが、それでもまだ、蛇に対して距離感があるのに対し、シヴァは極端なまでに密接な関係を持っている。


その絵を見れば明白だが、シヴァは首にコブラを巻きつけ、またときには、その蓬髪や腕にもコブラを巻きつける。また、その頂頭部に流れ落ちているのはガンジス川だが、川がナーギィ、つまり蛇であることを考えれば、その密着ぶりは異常なほどだ(上の写真がシヴァ、デカン高原の森の中)。

先に書いたとおり、シヴァ直属の部下(部下でなければ小さなシヴァそのものといっても差し支えないだろう)であるナガサドゥーも蛇との関連が深い。さらに、シヴァがインド中で交合した土地の女神たちもまた、多くが蛇の化身だといえるかもしれない。恐怖の女神であるカーリーの、恐ろしげに、チロチロ伸びる真っ赤な舌も蛇と無関係ではないだろう。

シヴァの起源については「悪霊シヴァの起源ですでに書いた。シヴァもまた、一般的には起源不明の神だが、さまざまな伝説を見ていくと、そこには悪霊としての姿が見受けられる。紀元前まで、シヴァは寺の中ではなく、集落の外側、深い森の中や、橋の下、大木の下などに祀られていたという。シヴァの前身は暴風の神ルドラとされるが、それはシヴァの一面を指すもので、実際には、人々が漠然と抱いていた不安や恐怖がやがて形となってあらわれ、シヴァの青黒い姿や蓬髪などへと集約されていったと想像される。その象徴として、シヴァに付き従って復活したのが蛇の系譜であった。

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ナーガ(2)に続く


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(当HP内、インド神様記事へのリンク集)

主要記事

殺戮の女神カーリー
ゾウの神様ガネーシャ伝説
シヴァという世界観
悪霊シヴァの起源
じつはインド最強ドゥルガー女神
水の女神サラスヴァティー
ダキニ(黒魔術の系譜)
猿の神様ハヌマーン
ナーガ(1)蛇神ナーガの系譜
ナーガ(2)蛇神ナーガと日本
宇宙の主ジャガンナート神
シヴァとビシュヌの子アイヤッパン
インドの神々(概要)

ページ内小さな記事
(これらの記事は「博物館で出会ったヒンドゥの神々」
各ページ内の特定の場所にリンクしています)


破壊神シヴァの化身バイラヴァ
没落したインド三大神の一つブラフマー
大地母神チャームンダー
殺戮の女神ドゥルガー
天の川の女神ガンガー
鳥の神様ガルーダ
最強の神ハリハラ
生首を手にしたカーリー女神
鬼族の守護神クベーラ
マヒシャを殺す女神ドゥルガー
シヴァの息子にして軍神カールッティケーヤ
半獣半人の神ナラシンハ
猪顔の神ヴァラーハ
シヴァと並ぶ最強最大の神ビシュヌ
リンガ伝説

その他インドの神々関連記事

動物と神様とインド人
日本にもいるインドの神様
ムルガン神の聖地パラニ







サドゥ 小さなシヴァたち

インドの放浪修行者
サドゥの本へのリンクです。
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