ヨーガのふるさととして知られるリシケシ。ヒッピームーブメントがおこった60年代には数多くの旅行者がこの地を訪れた。1968年にはビートルズ一行がリシケシに滞在し、ヨーガを学んだ。その時の師がマハリシ・マヘーシ・ヨーギという有名な聖者であったが、結局喧嘩別れに終わったようだ(マハリシが死んだと先日ニュースで聞いた)。1968年といえば僕が生まれた年でもある。ヨーガを学ぶためにこの地を訪れる旅行者はその後も絶えることがない。
夕暮れ時の河原には、ヨーガを学ぶ外国人や隠遁者たちが静かに瞑想する姿が多く見られる。山々の緑とガンジスの流れに包まれたリシケシはまさしく仙境である。そこに身をおけば、シャンティー(寂静、平和)という時間をゆっくりと感じることができるだろう。
ヨーガを学ぶ多くの人々に愛されるリシケシだが、とはいえ、相性がそれほど良くないと感じる人もなかにはいる。じつは僕もその一人である。さまざまな理由があるが、それはあまり書かないほうがいいかもしれない…。
知り合いのサドゥからこんな話を聞いた。彼はかつて、リシケシの森に庵を持っていたという。他にも同様のサドゥが多数いて、日々、自然に囲まれてのんびりと暮らしていたが、ある日、お役人が来て、サドゥの庵を取り壊すように命じたという。
本来リシケシは聖地というよりサドゥたちの自由気ままな遊び場であったと僕は想像している。彼らはお気に入りの場所に庵が結び、豊かな自然と思う存分戯れ、その中で自然と自分を一体化させていった。それが古きよきリシケシの姿だったと想像しているのだが、近年、そうしたリシケシの美しさが急速に失われようとしている。
サドゥが庵を結べなくなればサドゥ文化は死に絶えるだろう。庵がなくなれば瑞々しいヨーガの伝統も失われてしまう。真のヨーガはアシュラム(ヨーガ道場)から生まれるわけではない。にもかかわらずアシュラムばかりが肥大化し、一方でサドゥたちの庵は消え去ろうとしている。
リシケシに限ったことではないのかもしれないが、ここではとくにそれを強く感じてしまい、写真を撮ろうとする意欲があまり湧かなかった。
とはいえヒマラヤ巡礼の途中に何度かリシケシを訪れた。リシケシはヒマラヤ巡礼ルートの要衝でもあり、また、じつはのんびり休んで本格的なパスタを食べるためだった…。
(注) ヒマラヤ巡礼についておよびチャールダーム近郊の簡単地図もあわせてご覧ください。
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