聖地巡礼にコルカタは不必要かもしれない。かつて、史上最悪の街カルカッタとして世界に名を馳せたこのコルカタは、今も当時の雰囲気を伝える薄汚れた大都市である。聖地特有のすがすがしさはこの街のどこを探しても見つからない。長く滞在すると病気にかかりそうな恐怖さえ感じる、そんな街である。
とはいえ、コルカタはガンジス下流に位置しており、間違いなく、その水の恩恵を得て、今まで生きながらえてきた。たとえ、その水がすでにくたびれ、半分腐ったような異臭を発していたとしても、である。そんなコルカタを象徴する寺がある。
その前に、コルカタの地理を説明しておく。 ヒンドゥスタン平野に流れ出たガンジス川はアラハバード、バラナシ、さらにビハールの乾燥した大地を東へと流れ、ベンガルの大地でいくつもの分流に分かれ、扇状に広がる巨大なデルタ地帯を形成する。
ガンジス本流はバングラデシュ(ここもベンガルである)へと流れ込むが、バングラデシュに入る手前で分流の一つが南へと下っていく。これがフーグリー川である。コルカタはこの河畔に作られた街なのだ。
フーグリー川はその後、さらに南へ下ってベンガル湾へと流れ込む。その最下流域に位置するのが聖地ガンガーサガールであるが、それについてはガンガーサガールの項で書いた。
コルカタに話を戻す。コルカタを象徴する寺というのはカーリー女神をまつるカーリー寺院である。各ガイドブックにも紹介されているので訪れる旅行者も多い。中心部から地下鉄に乗って、南のカーリーガート駅で降りる。駅からは歩いて10分ほどである。
カーリー寺院の見ものは生贄の儀式である。毎日、何十頭と集められてくる山羊を首を切って、カーリー女神へ捧げるのである。カーリーは血に飢えた土着の女神であり、古くは人間が生贄にされたという。
地下鉄の駅からカーリー寺院へは賑やかなバザールが続いている。このあたりを歩く分には問題ない。しかし、その周囲の路地は注意すべきだ。近くにはマザーテレサの施設があるが、その目の前はなんと売春街である。昼間からネパール人女性らしき人々が外の様子をうかがっているのが見える。
そのような次第だからカーリー寺院を見たあとはおとなしく家路につくのが無難だが、その前にカーリーガートだけは見ておきたい。カーリー女神の名を冠するガート、つまり沐浴場である。寺から、駅とは反対側に約5分の距離だが、一見、「なんだこれは?」と思うような汚らしいガートである。
どうでもいいような小さなガートの目の前にドブ川が流れている。周囲にはゴミが散乱し、川は異臭を放っている。これに比べればヴァラナシのちょっとぬるっとした水などなんでもない。それぐらいに汚い。これぐらい徹底していると、インド人の巡礼といえども沐浴をする人々はきわめて少ない。
ところでカーリーガート、コルカタ発祥の地である。カーリーガートが訛ってコルカタになったとされている。おそらく旧名のカルカッタもカーリーガートの訛りだと思われるが、英国によって付けられた名前は肯定できないということだろう。いずれにしても、コルカタの起源がカーリーガート、つまりドブ川にあることは間違いない。いったいこのドブ川のどこが聖なる世界なのか。
さっそくグーグルマップで調べてみた。いや、じつは前から知っていたのだが、一応確認したかったのだ。
ドブ川はフーグリー川から枝分かれした分流であった。フーグリー川が北から南に流れる途中、少し南南東に方角を変えるちょうどその場所から、おそらく曲がりきることが出来なかった一部の水の流れが谷を刻むように南へと流れた。つまり、このドブ川もまた聖なるガンジスの流れである。原子、分子の単位で言えば、ここにもヒマラヤの水が流れ込んでいることだろう。
ドブ川の行く末も見てみたが、あっけなく川の流れはコルカタ市内で消滅していた。水の流れはそのまま地表から地中に染み込み、地底奥深くに消えてしまったのだ。
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