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アスカの原風景に出会った

インドのアスカを探しに…(4)

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「インドのアスカを探しに(3)」からのつづきです。(1)(2)および(3)からどうぞ。

タクシーは橋を渡って広い田園地帯に入る。夕方の温かい光を帯びた風景が美しい。遠くにはなだらかな山並み。まるで古い時代の奈良盆地を旅しているような気分だ。

車は右手の小さな集落の入り口に止まった。
「ここがダムダムポーリです」ドライバーが目の前の岩山を指差した。岩山といっても標高50メートルにも満たない小さなものだ。階段がついていて、上に寺が見える。一見したところは普通である。

上まで登って敷地内の向こう側にまわりこむ。その向こうに広がる風景を眺めて、僕は思わず息を呑んだ。美しい。だけではない。そこは奈良の明日香村を思わせるような景色であった。とくに心惹かれるのが、田園地帯に点在する巨岩の群れ。まるで石舞台古墳のようだ。遠くの小さな森にはヒンドゥー寺院の所在を示す幟(のぼり)もいくつか見えた。さらにその向こうに広がる二つのコブ状の山が、奈良盆地の西側に見える二上山を思わせる。

ともかく風景は申し分ない。個人的にはすでに満腹だが、もう一つ、何かの手がかりがほしい。つまりダムダムポーリの意味を探る必要がある。インドのアスカは、まるで古の明日香村のようでした、だけでは、やはり説得力に欠ける。

ところでダムダムポーリである。周囲には子供が遊んでいるだけで、知識を持った人はいそうにない。期待していなかったが、子供にとりあえず尋ねてみる。
「ダムダムポーリってどこ?」
「ここ」
「ここってどこ?」
「だからここだよ」と子供が指差したのは、僕がさっき迂回して歩いた岩の裂け目(下の写真)である。巨大な一枚岩のてっぺんに深くえぐれた裂け目がある。下には水がたまっているので、すべての形状は把握できないが、つまり、これがアスカ5000年の歴史に関する遺産ダムダムポーリであるらしい。

裂け目の周囲に白い壁を配していることからも、この謎の裂け目が重要なものであるのは間違いなさそうだ。水がたまっているため、その亀裂の底の部分が何なのかは分からない。そこに、この遺物にどんな伝説があるのかも不明だが、この巨岩の裂け目が聖地として崇められてきたのは容易に想像出来る。つまり、巨岩信仰である。その立派な遺構がインドのアスカに残っていた。

さきほど見た、暗い森のなかの寺にも岩か石がその象徴としてまつられていた。アスカの謎を握っているのは巨岩であるらしい。

巨岩信仰自体はさほど珍しくないが、少なくとも、これほどの規模を持つ巨岩遺構を僕は他で見ていない。まあ収穫である。

ところでアスカと明日香村との関係である。当たり前だが、これで関係があると言ったら詐欺になる。今のところは何も見えないし、関係があるだろうと本気で思っているわけではない。ただ、関係がないという証拠もない。証拠がない限り、否定も出来ない。世界が、どこでどんな風につながっているのかは謎である。ただ、そんなことを言っていてもはじまらないので、アスカと明日香村との共通点を一応書いておく。

アスカの原点は巨岩信仰であると思われる。もちろん、たった三時間の調査ですべてが分かるはずもないが、一応証拠もあるわけだし、否定する要素は少ない。対する奈良の明日香村だが、ここにも謎の巨石がたくさんある。酒船石、亀石、鬼の雪隠、鬼の俎板、そして主役は石舞台古墳。石舞台古墳は非常に有名だが、そのわりにはじつは謎だらけの遺構である。そこにまつられているのが蘇我馬子かどうかも確定していないし、当時、どういった姿をしていたか、あるいはどうやって作ったのかも諸説あるらしい。

明日香村の近くには、さらに不思議な巨岩遺構である「益田の岩舟」もある。何に使っていたのかもまったく謎の遺構だが、そのわりに訪れる人も少ない。アスカのダムダムポーリがまったく注目を受けていないというなら、益田の岩舟も謎のわりには無視されている。インドでも日本でも、あるいは他の国でもそうかもしれないが、本当に大切なものは意外と忘れ去られている。でも、それが悪い、というわけではない。忘れ去られているからこそ、ひょっこりそこを訪れた者に大きな感動を与えてくれる。

巨岩信仰は日本に限らず世界中に存在するが、その意味するところは多くがじつは謎のままである。何故かというと、遺構としては残っていても、リアルな巨岩信仰自体はほとんど死に絶え、忘れ去られてしまっているからだ。

アスカと明日香村との関係は結局不明だったが、それにしても今日は不思議な一日だった。この地の名前がアスカでなければここに来ることもなかったし、たとえ来たとしても、呆然と通り過ぎてしまったことだろう。ちょっとしたきっかけがあったことで、僕はインドのまた違った一面を知った。

未知との出会いがあるから旅はおもしろい。人との出会いはもちろんだが、今回のように風景や地形、あるいは謎の遺物との出会いもある。そこからさまざまな歴史を想像するのも旅の一つの形である。少なくとも、この旅をする前まで、アスカの起源を象徴するのが巨岩であるとは思わなかった。巨岩信仰に関する知識や興味はあったが、アスカでの体験が、さらに僕の視点を広げてくれ、その後の旅へとつながっている。詳しくは書かないが、巨岩は僕にとっての旅の大きなテーマの一つとなった。

夜になるまでアスカにいたかったが、帰路のこともあるからわがままも言えない。日没を前にアスカを立った。途中、橋を渡るが、そのとなりにボロボロになった橋が平行して並んでいる(下の写真)。なんだ?と聞いたら、1999年の巨大サイクロンで被害にあったものだという。普段はほとんど水もないような川床に突然濁流が押し寄せ、橋を壊し、町を水で浸したという。

サイクロンの被害はものすごく、当時の日本の新聞にも載った。 死者はまったく不明だが、おそらく五万人を下ることはないという。多くの先住民が被害にあったことも、情報の収集に支障をきたす原因となった。というのも、被害者を確認しようにも、そこに住んでいる人の情報すらないといった状況が、混乱をさらに助長したようだ。はっきりした被害状況は永遠に分からないだろう。

アスカはそんな辺境の地にあった。

(追記)
アスカの企画は採用された。でもその内容は、このテキストとはだいぶ違ったものになった。僕としては、タクシーのトラブルや途中の町カリコットの印象、さらに先住民風の男などとの遭遇を重視したかったが、企画となればそうはいかない。というわけで、個人のホームページにこの旅行記を書いてみた。







サドゥ 小さなシヴァたち

インドの放浪修行者
サドゥの本へのリンクです。
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