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インドのアスカを探しに…(3)

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「インドのアスカを探しに(2)」からのつづきです。(1)あるいは(2)からどうぞ。

カリコットから山を下り、タクシーは盆地をひた走った。時間がないのは運転手も分かっている。しかし道はガタガタであまりスピードは出ない。道の状況からしても、この地域が取り残された辺境地であることがよく分かる。

しばらく行くと「Aska」までの距離などを書いた道標が現れた。「Asika」でなく、「Aska」であることに訳もなく安心する。田園風景が続く平原地帯と周囲を遠巻きに囲む山々の風景はどことなく奈良を思わせる。雰囲気は悪くない。盆地(京都の宇治)で育った人間としては見慣れた光景でもあり、もっとも落ち着く世界でもある。

遠くに大きな工場が見え、そのとなりに巨大な寺院の姿が見えてきた。プリーのジャガンナート寺院によく似た形の尖塔である。ついにアスカである。とりあえずあの寺に行ってみよう。

寺はやはりジャガンナートを祭るものだった。オリッサ土着の神だが、寺自体はたいして古くもなく、建築的にも魅力はない。周囲をうろついてみたが、やはり何もないし、何も感じない。ただ、遠くに見える岩山とその手前の田園風景だけが目に新鮮である。

それにしても寺の周りはあまりに静かだ。ここは本当にアスカか、と地元民に聞くと、アスカの中心は川向こうだよ、と教えてくれる。それはそうだろう。これでおしまいだったら、何のためにアスカに来たのか分からなくなる。

あらためてアスカを目指す。川向こうに町らしきものが見え、やがて雑踏の中に入っていった。店の看板にはたしかに「Aska」の文字があるから、ここがアスカであることには疑いはない。しかし、感動はゼロである。そこはただの汚らしい田舎町であり、何一つ心をくすぐるものはない。運転手二人組の顔もやはり冴えない。というより、彼らは僕の目的すらあまり分かっていない状況なのだ。

小さな町を歩いてとりあえず寺を探した。町の歴史を探るには、何をおいても寺を訪れるのが一番である。たとえば日本の村などを歩くときも、まずは鎮守の森を訪ねてみる。そこには、村や町のルーツに関するさまざまなヒントが隠されている。ただし、すべての寺や神社がそうであるわけではない。

時間を気にしながら三つほどの寺を巡った。しかし何もない。ある寺では本尊も拝ましてもらったが、何一つとして特別なものはないし、特別なオーラもない。特別なオーラがないということはたいてい何もない。それは経験上よく分かる。

それにしても困った。時計を見ると5時をまわっている。何人かの人に質問をしたが、興味すら示さない。自分の町が特別だと誰も感じていないのだ。「こりゃ〜駄目かもしれない」という危機感に僕は包まれていく。とはいえ、必死で町を歩き回る僕の姿に運転手の一人も何かを感じたらしく、あっちだこっちだ、とアドバイスをくれるが、実を結ぶことはない。

そんなとき、道を歩く一人の男に僕は興味を持った。他人とちょっと違うのだ。上品な服装からして小金持ちだと思うが、同時にどこかインテリ風である。話しかけると流暢な英語が返ってくる。英語がまともに通じたのは最初の運転手以来である。僕は軽く自分の事情を話し、最後にこう質問した。

「アスカに歴史的な遺物はありますか」
「一つある。ダムダムポーリだ。さらに奥の川向こう。車ならすぐである」
「それはどれくらい古いものですか?」
「5000年か、あるいはそれ以上」
「5000年!それは古い!どんなところですか?素晴らしいところ?」
「大丈夫、行けば分かる」

最後の賭け。さっそく出発だ、と思ったら、奇妙な男が会話に口を出してきた。小柄で色は浅黒く、決して裕福ではないと思われるが、目の輝きに独特の強さがある。あるいは先住民かもしれない。しばらく、インテリ風の男と何かを激しく議論していたが、インテリ男はこちらを向き、彼との話を簡単に説明してくれる。

「彼が言うには、もう一ヶ所重要な場所があるらしい。よく分からないが、町外れの寺だと言っている。この町のルーツに関する非常に大切なモノということだが…。どうします?」
「行きます。両方とも」

即答である。なぜかというと、僕には、彼、つまりその先住民風の男が、非常に重要なことを伝えようとしていることがよく分かったのだ。 僕はこの手の人間に縁がある。よく分からないが、こういうちょっとあやしく、目つきの普通でない、先住民風の人間と袖振り合うためにインドに来ているという気がしてならない。

先住民風の男が勧める寺についてはただの勘だが、まあ間違いはないだろう。時間的にはぎりぎりだが、何とかなりそうである。

運転手の一人が気を利かせてすぐに車をまわしてくれる。一人は気力ゼロだが、もう一人はなぜかやる気満々である。なんだかすべてがうまくいきそうな気がしてきた。旅の中ではときどきそういった、気の流れのようなものに乗れるときがある。突然、何もかもがうまい具合に回転しはじめる。

先住民風の男も車に飛び乗り、すぐに出発である。

車は細い路地を抜け、林のなかの一本道を走っていく。その片側には貧しい家が数多く並んでいる。おそらくはハリジャン、つまり不可触民。場所柄を考えれば、そのルーツはおそらく先住民にあるのだろう。

さらに走ると小さな森が見えてきた。あの中に寺があり、アスカの秘密が隠されているのだ。教えられなくてもそんなことはすぐ分かる。

あやしく貧しい人々が住む界隈を抜けると森がある、というのは、古い時代のミステリーによくある舞台だ。そして森の中に秘密が眠っているというのは、別にインドでなくても、たとえば日本でも事情はほとんど変わらない。町の人たちがこの寺を話題に挙げなかったのは、事情をよく知らないということがまず一つ、それから、そこには不気味なモノが眠っているという恐怖と、もしかすると何かしらの軽蔑が入りまじった、複雑な感情から来ているのだと想像できる。ただし、だからこそ僕には多少の確信があった。

さっそく寺に入る。先住民風の男が寺の管理人を連れてきて、「この外国人に本尊を見せてやれ」と指示している。普通は時間外には本尊は見せないし、場合によっては外国人は立ち入り禁止なのだが、こういったあやしげな寺ほど規律は甘い。

さっそく本尊の鎮座する部屋へ。ただし、こうした寺はさまざまなエネルギーが充満しているので、心のこもった礼拝はまず欠かせない。

小部屋にたたずむモノは一見したところリンガである。つまりシヴァの男根のようだが、なぜかリンガ自体が見当たらない。「撮れ撮れ」と先住民風の男が催促するので、まず何枚か撮ってみる。すると彼は、「それじゃ駄目だ」と、なぜか怒りの表情さえ見せる。

上の写真が最初に撮ったものである。何が悪いのか分からない。ただし、分からないながらも本尊の持つオーラは感じられる。先住民風の男はさかんに「こんなふうに撮れ!」とポーズをとる。上から撮れという意味らしい。真似をして上から撮る。それが下の写真。

よく見ると、本来リンガがあるべき場所に石が見える。これが重要なのだと先住民風の男が繰り返す。伝説などを訊ねたが、よく分からんと答えるだけだ。周囲の人に聞いても同じである。そんなことはどうでもいいらしい。それよりも、この石が重要で、それが分かれば十分だと、先住民風の男は繰り返す。そして、デジカメの液晶をのぞいて、満足そうにうなずき、さっさと本堂を立ち去っていった。

あっけないようだが、これで終わりである。ただし、この結果には僕もある程度は満足していた。つまり、アスカのルーツはこの目で見た、という確信を覚えていた。どうやら僕の頭のなかは先住民風の男と同じ質(たち)のものらしい。

貧民街の片隅にある鎮守の森で、訳の分からない謎の石を見た。町の起源に関する舞台装置はすでに整っている。それで十分だと思うし、本当は説明不要だと思うが、これを読む人にとってはいささか不親切であるだろう。簡単に個人的な考えを書いておく。

この石はもしかすると巨大な岩かもしれない。見えているのはその先端で、 地中に体の大部分を隠している可能性がある。岩はもともとこの地の祭祀の中心として露出していたのかもしれないが、訳あって地面に埋もれた。それはもしかすると、あらたに流入した他民族の目から、岩の存在を隠すためだったかもしれない。おまけに寺まで建てて、一見、シヴァをまつる寺のように装いながら、なかでは秘密の信仰を貫いた。

これは全部想像だが、いずれにしても、そこには何かを隠そうとする意図があきらかに見てとれる。

岩、あるいは石の意味するところは分からない。この地に関する地理的な秘密のような気がするが、想像したところで、本尊を掘り返すことが出来ない以上、あれこれ考えるのは無駄だろう。ただ、この地に古くから伝わる秘密の寺がある、と分かっただけでも収穫である。

寺の前に貧民街が並んでいたが、あれはつまり、ここの神様が彼らと何らかの関係があることを示している。この地における貧民というのは、逆にいえば、先住民の血と習俗を色濃く残してきた連中であろう。だから新しい時代に対応できずにハリジャン(不可触民)となった。森の中の寺は彼らの過去と密接な関係があるのだろう。ただし、本当のことは決して分からない。真実は寺の本堂の下に封じ込められている。

薄暗い本堂を出た。夕暮れの森の中で、この寺はますます神秘的な色合いを濃くしていく。このまま夜を待ちたい気分もするが、そうもいかない。「早く行こう」と運転手が急かしてくる。

先住民風の男とはこれでお別れである。彼の家はあの貧民街のうちの一つなのかもしれない。男の顔には満足げな笑顔が浮かんだ。彼としては、外国からやってきた一人の人間が自分たちのルーツに興味を持ってくれたことが、何か特別なことのように思えたのだろう。秘密を打ち明けたような興奮を覚えたのかもしれない。

さて、次はダムダムポーリである。

「インドのアスカを探しに…(4)」に続く







サドゥ 小さなシヴァたち

インドの放浪修行者
サドゥの本へのリンクです。
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