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ベルー神の丘

旅行記「サドゥを探しに」
第三章 ケダルナート編の第三話




一人になって再び散歩する。街の右手に見える丘がさっきからずっと気になっていた。丘の上に吹きさらしの寺があることはどこかで見た写真で知っていた。夕暮れをその寺で過ごそうと僕は考えた。なだらかな坂道の上に何本もの幟の旗がはためいているのが遠くからも確認できた。寺はそこにあるはずである。

寺に続く坂道にはほとんど人影はなかった。近づいてくる幟の旗を見ながら、いつか夢に見た風景に似ていると思った。

この地の名前はベルーマンディル、マンディルは寺のことである。そして街を見下ろす丘の上に五体並んで静かにたたずむ奇妙な神様がベルー神である。赤や黒に塗られた姿が何か異様な雰囲気を漂わせている。ここはケダルナート異界巡りのもっとも重要な聖域である。そしてさっきから気になっていたのが左手に見える小屋である。

聞くところによるとベルー神は悪霊のような存在だというからそれを鎮め管理する存在が必要となる。そんな役割を果たすのにうってつけの存在といえばサドゥをおいてほかにない。あの小屋に住むのはおそらくサドゥであろう。もしそうなら会ってみたい。僕は軽い緊張を覚えながらクティアと思しきその小屋へと向かった。


クティアの奥に鎮座していたのは目つきの鋭い中年のサドゥだった。眉間に刻まれた鋭く深い皺が彼の性格を物語っているようだ。薄汚れた青っぽいジャンパーなどを適当に重ね着し、頭には黒っぽいターバンをかぶっている。そしてターバンに隠れるように見え隠れする大きな耳輪。黙っていると周囲の空気まで凍りつくような独特な威圧感がある。まるで山のような人だ、とすぐに思った。

サドゥの名はスミルナートババ。意外にも流暢な英語を話す。このクティアに住み始めて二十六年になるという。恐る恐る年齢を聞いて驚いた。四十四歳だという。僕と七歳しか違わない。てっきり父親ぐらいの年齢を想像していたのだ。人里離れたクティアにたった一人で暮らしているから年齢の重ね方も普通ではないのかもしれない。ただし冬は山を少し下り、登山口近くの山村に別のクティアを営んでいるらしい。平野部を旅することはあまりないという。


クティアの中には二人の先客が座っていた。一人はおそらくこのサドゥの世話をしている村人である。そしてもう一人は若いサドゥであった。彼もまた僕と同じようにはじめてクティアを訪れた様子であるが、やはりこの山のようなサドゥに圧倒されているのかじっと座ったまま黙り込んでいる。会話が途切れるとその静けさに身を締め付けられるような気詰まりを感じる。まるで山の霊気がひたひたとクティア内に侵入してくるような不思議な気分だ。たしかに気詰まりではあるが、僕は底知れない魅力をこのサドゥとクティアに感じていた。チャイを飲んでポツリポツリと話しているうち夕方になった。手伝いの村人はすでに山を下りていた。

「今日はそろそろ帰ったほうがいいのではないか」とスミルナートババに言われてとりあえず今日は退散することにする。

「また明日来ますね」と僕が答えると「いつでもおいで」と答えてかすかに笑った。若いサドゥと外に出ると、彼はほっとしたような笑顔を向けてきた。やはり緊張していたのだ。

ベルー寺院で若いサドゥと別れたあとも僕は一人丘をぶらついていた。忍び寄る夜の霊気を感じたかった。谷間から登ってきた霧が丘を包み込もうとしている。やがて辺りは真っ白な世界に変わった。一段と深まった静けさの彼方から小さな足音を聞いた。クティアのほうからそれは聞こえてくる。やがて霧の中に姿を現した黒っぽい影はやはりスミルナートババであった。濃い霧の中を静かにベルー寺院のほうへと向かっていく。後ろ手に組んだ彼の姿は古い伝説を思わせる。そんな風景の中に自分がいることが不思議だった。




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