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大麻の煙たなびく山

旅行記「サドゥを探しに」
第三章 ケダルナート編の第二話




「奪衣婆」のようなサドゥから何とか逃れて僕たちはさらに歩いた。気持ちのよい草原に小道がどこまでも続いている。そして見上げると雪をかぶったヒマラヤの山々と白い雲が浮かぶ青い空、まるで天国のような場所である。草原のところどころにサドゥが住むテントが建っている。その脇に座ってチャラス(大麻樹脂)を悠然と吸っていたり、近くの小川で洗濯するサドゥの姿もちらほらと見かける。何と優雅な暮らしであろう。下界の厳しい暑さとはまるで無縁の暮らしだ。

ここに住むサドゥの半数以上は夏の数ヶ月をケダルナートでのんびりと過ごす。ゴービンダギリもその一人で、ケダルナートに住み始めて数年になる。バドリナートの洞窟仙人たちと同じである。巡礼の多い最初の数ヶ月は参道でうろうろしながら金を稼ぎ、雨季になって巡礼が少なくなると、ときどき仲間とともに山に入る。目的は咲き誇る高山植物の鑑賞と谷間に茂る薬草の採取である。通常は日帰りだが、ときには山中の洞窟で寝ながら何日も山を旅するという。

「雨季にまた来れば一緒に行こう」とゴービンダギリは笑った。

「サドゥーのような暇人ではないんだけど…」と僕は心のなかでつぶやく。日本人としては圧倒的に暇人のほうだがそれでも最近の旅は一ヵ月半が限度である。季節をまたいで取材できないのは残念だが、こればかりは致し方ない。


見晴らしのよい丘の上でゴービンダギリは座り込んだ。そして肩にかけていた袋から黒いチョコレート状の塊を取り出し火であぶり始めた。チャラス、大麻の樹脂である。あぶった樹脂を手の平でもみほぐし、タバコと混ぜてチラムと呼ばれるパイプの中に詰め込んだ。大麻はシヴァ神の大好物でもある。シヴァ神の家来でもあるサドゥは大麻を通じてシヴァ神と一体になる。その煙が空へ消え入る静寂の時間をサドゥはゆっくりとたどっていく。風に流れていく雲は彼らの心を写しとるようにゆっくりと形を変えていった。美しく満ち足りた時間である。

大麻とサドゥの関係はとても深い。前にも書いたように大麻はシヴァの好物でもある。「小さなシヴァ」を目指すサドゥがこれを愛用するのは当然のこと。大麻は彼らの瞑想を助け、空腹を和らげ、寒さを忘れさせる。大麻なくしてサドゥの世界は存在しない。大麻はインドの法律でも禁止されているが、サドゥだけは別格である。彼らは神々の世界の住人なのだ。当然法律の枠外に住むものと解釈されている。だからサドゥがいつどこで大麻を吸おうが、密売に手を出さないかぎりは問題にならない。サドゥたちによる大麻吸引の歴史は軽く五千年から一万年、対する大麻禁止の歴史はインドにおいては十数年なのだ。


ゴービンダギリにつづいて坂道を下る最中にまた例の匂いを嗅いだ。変な匂いではない。例えるなら、日本の古い山寺のお堂の中で嗅ぐような、澄み切った静けさを感じさせる素朴な匂いである。しかしここは吹きさらしの山道であり、寺院ははるか遠くに小さく見えるだけだ。考えられるのはただ一つ、それはゴービンダギリに付着しているものだ。とすると、おそらく彼の体に塗りつけられた白い灰が風に舞って後ろを歩く僕の鼻腔を刺激するのだ。奇妙な感覚だが僕には彼の姿がだんだんお寺のお堂に見えてきた。僕は手帳の余白に急いでこう書き記した。

「サドゥとは移動する寺である」




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