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源流目指して出発

旅行記「サドゥを探しに」
第二章 ガンガー源流編の第四話




次の日の朝、早速のテントへと向かった。サントスナートババは寺に出掛けていて留守であったがアマルナートババは旅支度の真っ最中である。機嫌も良さそうだ。「マンゴーがうまそうでな〜」と一袋のマンゴーをバックに入れた。珍しく自前で買ったようである。

しばらくするとサントスナートも戻ってきて荷物の用意を始める。といってもたいした荷物は何もない。上着に軽いブランケットを勝手にガイドの荷物にくくりつける。ガイドのソンパールも苦笑いをしてその様子を眺めている。とんだ客を捕まえてしまったと思っていることだろう。ただし僕はすでに料金を上乗せしているし、「いい仕事をしてくれたらボーナスも弾むよ」と伝えている。地獄の沙汰も金次第ではないが、ガイドであってもサドゥであっても誠意を証明するには金も必要である。

僕が貧民なら問題はないが少なくともこの場面では一応は金持ちに属している。インドを旅する貧乏旅行者は誠意だけで気持ちが通じると思いがちだが、僕の考えでは誠意プラス金である。サドゥやガイドといった旅暮らしの人々はいつも金欠に悩まされている。まずは彼らの空腹を満たしてやらなければならない。僕だって旅暮らしという意味では似たような境遇なのだ。日本にいるときはたいてい金がなくて困っているので彼らの気持ちは痛いほど理解できる。ちなみにIさんも長い旅の最中だという。五人の変な旅行者が「旅は道ずれ」とばかりに集まったわけだ。


寄り合い所帯の珍道中はまずは無難にスタートした。天気は快晴、谷の奥に鎮座するヒマラヤの山々もくっきりと望める。道幅は広くて平坦だから僕にとっては逆に退屈なぐらいである。サントスナートババはあいかわらず元気で、道沿いの草や木の説明までしてくれる。一本の杖と一本の足を使って跳ねるように坂を登っては立ち止まり、風景をゆっくり眺めながら神々の伝説を饒舌に語りだす。

対するアマルナートババはマイペースである。黒い日傘を手に決して変わることのないペースで淡々と歩く。とはいえプロの旅行者である彼にとっては僕たちのペースは少し遅いらしい。すたすたと歩いていっては道行くサドゥとのんびり雑談し、僕たちが追いつくと彼も再び歩き出す。

雑談といってもただの情報交換ではない。彼らサドゥは一服のたびにチャラス(大麻樹脂)を取り出し回し飲みするのだ。常人がやれば間違いなくぶっ倒れるハイペースで吸いまくっている。吸ったからといってテンションが上がるわけでもなんでもなく、いたって普通だ。僕たちがやってくれば笑顔で出迎え、マンゴーを配ってくれたりする。アマルナートババが愛想良くしてくれるのは多少予想外だったがともかく良かった。


今日の宿泊予定はガンジス川源流五キロ手前にあるボジバーサというところ。ガンゴートリーからは約十四キロ、標高差は千メートルである。サントスナートババとIさんがいるから約八時間だと僕は踏んだ。あと五キロくらいの地点からIさんが疲れ始めた。それにいつのまにかサントスナートババも静かになっていた。しかしあと五キロである。あと一キロ二キロが本当に辛そうだったが夕方四時頃にはボジバーサに到着した。

ボジバーサからガンジス川源流のゴームクまでは五キロだ。少し窪んだ草原の中に僕たちが泊まるアシュラムと州政府経営のツーリストバンガローがある。アシュラムというのはヒンドゥー教の宗教施設で多くは宿泊施設を兼ね備えている。サドゥや巡礼の多くはここに泊まる。アシュラムから少し登った登山道沿いにも茶店がいくつかあって、ここからはゴームクの巨大な氷河が遠くに眺められる。ゴームクの背後にそびえるのがバギラティと呼ばれるヒマラヤの峰々。このバギラティ全体が牛の顔、そしてゴームクが牛の口に例えられる。ガンジス川は牛の口から流れ出る水というわけだ。ようやくヒマラヤ中枢に分け入ったのである。


アシュラムの部屋を確保したあと夕食まで時間があったので外へ出た。アシュラムの門前には十数人のサドゥがたむろしている。サントスナートババやアマルナートババの顔もある。サドゥたちが門前にたむろするのはアシュラム内でタバコや大麻を吸うことが禁止されているためである。だからといって門前で大量のサドゥがたむろし、大麻をばんばん吸っているのも変な気がするがそこはサドゥである。他人の思惑を考えるような人々ではない。

しかもここは伝説の場所である。自分たちの先輩である聖仙バギラティの苦行が神々に通じて、その結果、ガンジス川が天から降ってきたという、まさにインド文明発祥の地であるのだ。そして天から降ってきた奔流を髪の毛で受け止め、地球の破壊を防いでくれたのがシヴァ神であった。大麻はシヴァ神の大好物である。だからシヴァ直属の弟子を自認するサドゥであるならまさにこの場所で大麻をまわしてシヴァ神をまつるのは当然である。大麻の煙がたなびくところにサドゥの人生がある。


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