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旅行記「サドゥを探しに」
第一章 バドリナート編の第六話





次の日もバドリナートに滞在したが谷間に足を向けることはなかった。本当は山を下る予定であったが、この地で半年ぶりに再会したサドゥーと付近を散歩する約束をしてしまったのである。行き先はアラクナンダー川最奥の村マラ。付近は美しい渓谷地帯だという話であった。

「その近くにクティアはないのかい?」と僕は彼に尋ねた。

正直言って、たんに美しい渓谷というだけではなかなか興味が湧かない。標高三千メートルを越えるバドリナートはまあどこを見てもそれなりに美しい。そんなことよりサドゥである。

「ゴパ(洞窟)があるよ。俺のベストフレンドが住んでいる。そこで飯を食おう」という彼の答え一つで僕はそこを訪ねてみる気になった。


気持ちの良い川沿いの道を一時間ほど歩いてようやく村までやってきた。さらに渓谷沿いの細い道をたどると、そこに目指すクティアがあった。洞窟というより岩の窪みのような場所で、作り自体は小さい。そのなかに座っている一人のサドゥを見て、僕は思わず「おお〜」と胸の中でうなった。

その姿形が美しいのである。白い灰を塗った顔と素朴で味わい深い衣装や装飾が、洞窟住居の中に溶け込んでいる。派手な装飾品を身につけない代わりに香りのする草がその長い髪の毛を自然な雰囲気で飾っていた。まるで髪の毛のなかで草を栽培しているような不思議な造形である。一種パフォーマンスアートのようだが彼は年がら年中この格好をして座り続けているのだ。それが師匠譲りなのか自分で創作したのかは不明だが、彼もまた自然のなかにどっぷりと浸かる典型的なサドゥである。

男は寡黙だった。表情もほとんど変えない。時折やってくる巡礼には払子で頭を撫で、求められれば聖なる灰をその額につけてやる。そして僕の連れのサドゥと静かに話しをしながらやがて食事の準備を始めた。



一時間後に料理が出来上がった。すりおろしたマメとアタ(強力粉)に水を加えて練り上げ、肉団子状に作ったいわゆる肉もどきをメインの具にしたカレー汁がおかずで、主食はチャパティーというインドの真ん丸いパンである。いたってシンプルなメニューだが、味は驚くほど良かった。少なくともバドリナートあたりの食堂とは比べ物にならない。

特にチャパティーのもちもちした食感と風味豊かな焦げ具合は絶妙である。何十日も燃え続けている聖なる薪の火でじっくりと焼き上げるのだからそれも当然である。ちょっとした工夫もあった。強火でさっと焼いたチャパティーを熱々の灰に潜らしてしばらくおいて置く。いったいどうなることかと思ったが、灰を叩き落した姿は素朴な焼物のように味わい深い。まさにヒマラヤ仙人飯である。

クティアに滞在していたのは二時間弱だった。もっと粘りたい気持ちもあったが当のサドゥは食事を終えたあとはまるで彫像のように動かなかなくなったのである。目を閉じ勝手に瞑想タイムに入ってしまったのだ。連れのサドゥーとの会話もすっかり途絶えてしまった。ベストフレンドといっていたわりには意外なほどあっさりとした関係である。連れのサドゥもうなだれたように頭をたれてじっとしている。おいしい食事もいただいたしそろそろ潮時であろう。連れのサドゥをうながし僕たちはクティアを出た。


次の日、僕は早朝のバスに乗って下界へと下った。バドリナートを出てしばらくは目もくらむような断崖絶壁が続いている。日本なら決してバスを走らすことが許されないような恐ろしい道である。強引に岩盤を削って掘り出すように作り上げた場所も数多くあるのだ。いつ崖が崩れ落ちてもおかしくない。

そんなバス道が完成したのもじつはそれほど昔のことではない。数十年前にはここは完全な秘境の地であった。さらに時間をさかのぼればまだ村も何もないような時代もあったという。それでも人がいなかったわけではない。少数のサドゥたちが断崖絶壁の獣道をよじ登るようにしてこの地を目指していた。それがおそらく聖地バドリナートの起源である。立派なビシュヌ寺院が建設されたのはずっとあとの話なのだ。

滞在中、 バドリナートの街の賑わいにレンズを向けることはほとんどなかった。わざわざ撮るほどの世界ではない。古代から続いているヒマラヤ巡礼の旅は、文化としてはじつは曲がり角に来ている。インドの急激な経済発展を背景にした旅行(巡礼)ブームがこの山奥の聖地を直撃していた。ここ数年でバドリナートは急激に変わったという。ホテルやレストランが倍増し物価が跳ね上がった。それにともない、巡礼の主役はこれまでのいわゆる貧困層から中間層へと変わりつつあった。土臭いヒマラヤ巡礼の世界はすでに過去のものになろうとしている。

とはいえ何もかもが変わったわけではない。変わろうとしない連中もいるのである。その代表がサドゥだ。さまざまな動乱の時代を経て数千年以上にわたって生き延びてきたたくましさは普通ではない。金持ちの巡礼が増えたら逆に彼らから目一杯金をふんだくればいいだけのことである。

「もともとバドリナートは俺たちの土地であり、俺たちこそが神々の世界の番人である」という強烈な自負がサドゥを支えている。僕はバドリナートの原風景を探していた。そうしてたどりついたのがあの暗い谷間だった。



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