「慧可断臂図」の達磨大師はまるで岩石のように厳しく荒々しい表情を浮かべているが、そこに暮らさなければ得ることの出来ない境地がきっとあるのだ。サドゥの思想は簡単に言ってしまえば自然回帰である。だから住む場所にこだわるのは当然であろう。もしそうであるなら洞窟をわざわざ選ぶ理由とは何だろう?
洞窟のことをインドではゴパと呼ぶ。サドゥの仮小屋はクティアだが、洞窟を利用している場合はたんにゴパと呼ばれることもある。ゴパを利用するのはサドゥの仮小屋だけではない。一番多いのが寺である。デカン高原にあるエローラやアジャンターといった有名な寺も洞窟だがこれらは人工的に掘り出されたものだ。もっと素朴で起源も分からない古い洞窟寺院がインドには数多く残っている。まつられているのは多くの場合シヴァ神である。
シヴァはさまざまな性格を持つ複雑な神様だが洞窟などにまつられる場合はたいていリンガ(男性器)の形をとる。リンガは独特な形をした皿の上から真上に突き出た形をとっているが、この皿はヨーニ、つまりパールヴァティー女神の子宮内を象徴している。シヴァ寺院というのはじつはシヴァの男根と女神の子宮との融合を象徴した神殿である。つまり洞窟を起源とするシヴァ寺院は生命(いのち)の始まりという厳粛な場面の舞台装置として発生したものだった。
一方、洞窟は死者の世界でもある。火葬や土葬の習慣が一般化する以前は洞窟が墓場であった。日本最古の人骨も沖縄の洞窟から出土している。エジプト王家の谷などもまた巨大な洞窟である。インドの洞窟は知らないが、たとえばシヴァは生命(いのち)を育む神であると同時に破壊の神でもあり、また火葬場の神でもある。つまり死神なのだ。リンガであるシヴァと死神であるシヴァとのあいだに矛盾があるわけではない。輪廻転生という思想一つをとっても分かるように、生と死はつねに表裏一体の関係にある。
洞窟は死者たちの眠る黄泉の国であると同時に生命の誕生する胎内を象徴する非常に神秘的な場所であり、また森羅万象に渦巻く自然のエネルギーが凝縮する場所である。僕はこのエネルギー自体がシヴァだとひそかに考えているのだが、いずれにしてもシヴァ派サドゥがおもむく地形としては、これほどふさわしい場所は他にない。
|