chaichai > サドゥを探しにOm Namah Shivaya>外套の男

ホーム

フォトギャラリー

写真で見るインド

インド旅の雑学

フォトエッセイ

ブログ

プロフィール

 


外套の男

旅行記「サドゥを探しに」
第一章 バドリナート編の第三話




クティアには二時間ほど世話になり、三杯チャイを飲んだ。旅行話のあともいくつかの世間話をした。どうってことのない話である。内容もあまり覚えていない。もちろん説法の類などではない。どこのクティアに行ってもそれは同じである。僕もサドゥから教えを請おうと思ってそこに居座っていたわけではない。写真を撮りたいのはもちろんだが、それ以上に、洞窟という不思議な世界に魅了されていた。

冷たい岩の感触を感じながら、炎に照らされたサドゥの影を眺め、洞窟内に響く雨音を聞いていると、なんだか数千年も昔の時代にタイムスリップしたような気分になる。こんな世界が21世紀の現代に普通に存在していることがまず驚きである。

僕はある一枚の日本の古い絵を思い出した。室町時代、雪舟によって約五百年前に描かれた墨絵の名作「慧可断臂図(えかだんぴず)」である。

参照「慧可断臂図」(京都国立博物館のホームページ)

深山幽谷の洞窟で瞑想する達磨大師のもとを慧可という僧侶が訪れる。達磨大師というのはあの「ダルマさん」である。慧可という修行僧の目的はその達磨大師に弟子入りすることである。慧可はその決意を示すために切断した自分の左手を右手に持ち、じっと達磨大師の言葉を待っている。そんな物語が太く緊迫したタッチで描かれている。二人の背後に描かれていたのが荒々しい洞窟の様子であった。

絵の舞台は中国だが達磨大師はインドの人である。描かれた世界はあるいは古いインドの風景のようでもあったが、じつは今もなお存在する現実の世界だったのだ。僕はヒマラヤ山中を歩いていて、ふとした拍子にあの絵の舞台にもぐりこんでしまったことになる。目の前に達磨大師がふと現れたとしてもたいして驚くようなことではない。「慧可断臂図」はそれほど遠い世界ではなかった。

洞窟で暮らすサドゥというのは今でもそれほど珍しい存在ではない。深さ六十メートルの洞窟に暮らすというサドゥに会ったことがある。その洞窟自体は見ていないが男はまるで熊のような風貌だった。

「自分で探したんだよ」と彼は笑った。もともと公務員だったそうだが急に何もかもいやになって勝手にサドゥとなり洞窟にこもったのだという。

「なぜ洞窟だったのですか?」という僕の答えに彼は「さあ…」と首を傾げた。自分でもよく分からないのである。結局誰からも明快な答えは得られなかったが「サドゥは本来洞窟に住むべきである」と主張するサドゥは何人もいた。じつは僕自身もなんとなくそう思っている。


「慧可断臂図」の達磨大師はまるで岩石のように厳しく荒々しい表情を浮かべているが、そこに暮らさなければ得ることの出来ない境地がきっとあるのだ。サドゥの思想は簡単に言ってしまえば自然回帰である。だから住む場所にこだわるのは当然であろう。もしそうであるなら洞窟をわざわざ選ぶ理由とは何だろう?

洞窟のことをインドではゴパと呼ぶ。サドゥの仮小屋はクティアだが、洞窟を利用している場合はたんにゴパと呼ばれることもある。ゴパを利用するのはサドゥの仮小屋だけではない。一番多いのが寺である。デカン高原にあるエローラやアジャンターといった有名な寺も洞窟だがこれらは人工的に掘り出されたものだ。もっと素朴で起源も分からない古い洞窟寺院がインドには数多く残っている。まつられているのは多くの場合シヴァ神である。

シヴァはさまざまな性格を持つ複雑な神様だが洞窟などにまつられる場合はたいていリンガ(男性器)の形をとる。リンガは独特な形をした皿の上から真上に突き出た形をとっているが、この皿はヨーニ、つまりパールヴァティー女神の子宮内を象徴している。シヴァ寺院というのはじつはシヴァの男根と女神の子宮との融合を象徴した神殿である。つまり洞窟を起源とするシヴァ寺院は生命(いのち)の始まりという厳粛な場面の舞台装置として発生したものだった。

一方、洞窟は死者の世界でもある。火葬や土葬の習慣が一般化する以前は洞窟が墓場であった。日本最古の人骨も沖縄の洞窟から出土している。エジプト王家の谷などもまた巨大な洞窟である。インドの洞窟は知らないが、たとえばシヴァは生命(いのち)を育む神であると同時に破壊の神でもあり、また火葬場の神でもある。つまり死神なのだ。リンガであるシヴァと死神であるシヴァとのあいだに矛盾があるわけではない。輪廻転生という思想一つをとっても分かるように、生と死はつねに表裏一体の関係にある。

洞窟は死者たちの眠る黄泉の国であると同時に生命の誕生する胎内を象徴する非常に神秘的な場所であり、また森羅万象に渦巻く自然のエネルギーが凝縮する場所である。僕はこのエネルギー自体がシヴァだとひそかに考えているのだが、いずれにしてもシヴァ派サドゥがおもむく地形としては、これほどふさわしい場所は他にない。


三杯目のチャイを飲んだのを機に洞窟の外へ出た。雨はすでに止んでいる。それでも夜を前にして谷間はひどく暗い。明かりのある街までは歩いて三十分弱、そろそろ山を降りたほうがよさそうだ。そう思って道を下り始めた僕のすぐ脇を、膝下まである長い外套を着込んだあやしげな男が早足で通り過ぎていった。オレンジ色のショールを目深にかぶっていたので顔はほとんど見えなかった。

サドゥだろうか?男は洞窟クティアも通り過ぎてどんどん上へと登っていく。なんだかあやしげだが、荒涼とした風景に長い外套がよく似合う。サドゥかどうかは分からないが奇妙に惹かれるところがある。僕は男を追いかけはじめた。

男は決して後ろを振り向かない。それでも僕が背後から迫ってくる状況を感じているのか、スピードをさらに上げて歩き続ける。ときおり右手を振り上げ左右にくるくる回しているのはたぶん僕への合図なのだろう。意味は分からないが、うるさがっているのは間違いない。たしかに僕は執拗だった。背後から近づき一瞬止まっては写真を撮り、また追いかけ写真を撮るという動作を繰り返していた。怪しいのは外套の男ではなく、どう見ても僕のほうなのだが、暗い場面だったので仕方がなかった。男はたまりかねたように山道を走り出した。



僕はようやく立ち止まり、男の姿を呆然と見送っていた。それにしても不気味な光景である。この谷の奥にいったい何の用事があるのだろう?あるいはまだまだ隠れ家があるのかもしれない。やはりサドゥーの仮小屋だろうか?すべて謎だらけである。そんなことをあれこれ考えながらその場に立ちすくんでいると、また一人の男が谷の下から登ってくるのが見える。まともな格好の若い男だ。近づいたところで声をかけたが男は言葉を発さない。だが、その顔にやがて素朴な笑みが浮かんだ。

なおも話しかけようとする僕をその若い男は手で制した。そして右手の人差し指を口に当て、さらに何度か横に振った。話すことが出来ない、という合図であろう。さっきの外套を着た男も同じである。ということは、…と僕は考えをめぐらせた。外套の男もこの若い男もやはりサドゥだろうか?つまり無言の行である。

若い男は「ついて来いと」いう仕草をして、すぐに上に向かって歩き出した。五分ほど歩いてたどりついた場所にはまたしても洞窟クティアであった。この暗い谷間のあちこちにサドゥたちが隠れ住むように暮らしているのだ。僕はちょっと空恐ろしい気分になった。

どうする?といった顔つきの若い男に、また明日来るから、と手で合図して、とりあえず山を下ることにした。こんな時間帯に誰がいるとも知れない洞窟に潜りこむのはさすがに怖い。それにヒマラヤ山中の谷間はすでに夜を思わせるほど暗くなってきている。怖いのは人だけではない。夜になると熊やヒョウが出没することもあるらしい。僕は走って山を下った。




前回の話 次の話

chaichai > サドゥを探しにOm Namah Shivaya>外套の男



(C)shibata tetsuyuki since2009 All rights reserved.
全ての写真とテキストの著作権は柴田徹之に帰属しています。
許可なく使用および転載することは禁止です。ご留意ください。