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第五章 弁弁太鼓と三叉戟
第五章も引き続き壁画の話である。上に二枚の写真を掲載した。まず上の写真から、…鮮明な絵ではないが、男が弓を引いているようである。弓矢と手の位置が少しおかしいような気もするが、絵自体は荒々しい魅力にあふれている。注目したいのは、今しも飛び出ようとしている矢の形状である。インドでよく見る三叉戟であるのは間違いないだろう。シヴァの持ち物であり、シヴァ派のサドゥーたちもよく持ち歩いている。さらに言えば、この三叉戟は、実はパチマリの象徴とでもあるのだ。パチマリはシヴァの聖地であることはすでに書いたが、とりわけパチマリが特徴的なのは、この三叉戟を非常に重要視することにある。そのことについてはシヴァラットリー祭のページで書くつもりだが、この一万年以上も昔の絵と現在の風習が関係あるものなのかどうか、非常に気になるところだ。 次に下の写真であるが、…寝そべってリラックスした表情の男と左には興奮した様子の男が見える。左の男は例によって尻尾を生やしている。恍惚となって踊っているようにも見えるが、彼のこうした動きは、おそらく右の寝そべった男を意識したものであると想像できる。つまり、右の寝そべった男がボスであり、左の男はその家来のようである。体の大きさからもそれがうかがえるだろう。それでは、右の男はいったい何者なのか。特徴的なことが一つある。その手に持った弁弁太鼓である。弁弁太鼓であると決まったわけではないが、僕にはそう思えてならない。思うにこの絵は、右の男が打ち鳴らす弁弁太鼓のリズムにあわせて、左の男が歌い踊るさまを表現したものではないだろうか。ちなみに弁弁太鼓は現在のインドにも存在する。やはり、シヴァがそれを持ち歩くのだ。シヴァ派の一部のサドゥーはそれを真似、先の三叉戟に弁弁太鼓をくくりつけて旅をする。 この二つの絵をとおして次のようなことが推理できるだろう。つまり、絵に描かれているのはまさしく正真正銘のシヴァである、ということだ。この絵はおそらく一万年以上昔に描かれたものだから、インダス文明よりはるかに古い時代のものである。インダス文明期の遺物にシヴァとおぼしき男が描かれた印章が見つかっているが、パチマリのシヴァはさらに古く、そして神秘的である。 シヴァの起源については、以前にも触れたのでここでは繰り返さない。それよりも、この深いジャングルに眠る壁画群に描かれたのがシヴァであったというなら、それはどういうことだろう。シヴァはこの森に暮していたのだろうか?それよりも、シヴァはやはり人間の形をとってこの森に存在していたのだろうか?シヴァにはパシュパティという異名がある。「野生の王」「野獣の王」といった意味だそうだ。カトマンドゥーにあるパシュパティナート寺院は、シヴァのこうした側面を祭る寺院であるが、そのルーツはここパチマリにあったのだろうか?僕はこの森を歩き、シヴァが虎やヒョウなどの野獣を引き連れ、森の中を駆け巡る姿を想像してみた。…そして、シヴァが駆け巡ったかもしれない森の中に自分がいる、という不思議な感覚。それがパチマリにたいする興味の根っこにあり、こうして文章を作っている今も、ある予感のようなものに支配されているようである。
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