ホーム

フォトギャラリー

写真で見るインド

インド旅の雑学

フォトエッセイ

ブログ

プロフィール

 
 chaichaiホームデカン高原古代の森パチマリ>第三章 ダキニの起源?
 
 第二章に戻る 第四章に進む
 

第三章 ダキニのルーツか?

 
 
上の写真はゾウと戦う人間の絵かと思われるが、描写が全然違うので、それぞれ別の時代の絵なのかもしれない。下方に描かれた、狐か犬のような絵も、ゾウのものと同じであり、絵としては稚拙で魅力がない。むしろ、二人の人間の右上方にいる野獣の絵に惹きつけられた。下の写真はそのアップ。
 
 
 

野獣の話の前に、描かれている人間らしき生物(?)にも触れておきたい。前回触れた尻尾だが、上の写真の人間には認められない。あるいはまた別系統の原人だったりするとそれもおもしろいが、まず一見して奇妙に思えるのが頭の形だ。見ようによっては二頭人間のようにも見える。もしかしたら「ちょんまげ」のようなものかな、とも思ったが、よく分からない。腰のくびれも極端で、何だか全身を水着のような素材で被っているようにも見えるが、逆にいえば、ただ裸なのかもしれない。それにしても、単純な絵柄ながらも、槍を投げようとする姿は力強く、バランスもいい。さて、彼らは何者だろう?

次は右上方の野獣だが、これはダキニのルーツかもしれない。ダキニ(ダキーニー)というのは殺戮の女神カーリーの侍女といわれる悪鬼の一種で、仏教説話にも登場する。もともと生きた人間の肝や肉を食べていたのが、ブッダに諭されて以後、死んだ人間のものだけを食べるようになる。そして同時に、誰がいつどこで死ぬかを予言できる能力を身につけたとされている。ダキニはジャッカルの精から生まれたとされるが、その発生はデカン高原であった、とどこかで聞いた覚えがある。また、カーリーの化身ドゥルガーもデカン出身であるし、カーリーやシヴァなども、もとはこのあたりの鬼神がルーツではないかと個人的には考えている。

ダキニは日本にも伝えられていて、例えば京都にも数ヶ所、ダキニを祀る神社がある。しかし実は、あのお狐さんもまたダキニと関係があるらしい。というより、ダキニは日本に来てお狐さんに変身したという説も有力である。それでは何故狐かというと、それはやはり、日本にジャッカルがいなかったからだろう。ただ、ダキニ左派(?)はお狐さんとは再び袂を分かち、独自の道を歩んでいった時期もあった。それが、邪教として江戸時代に滅ぼされた「真言立川流」だった。「真言立川流」はさまざまな性魔術を駆使する過激な実践宗教だったようだが、それはある意味どこかインド的でもある。だからインド人にいわせれば、「なかなかやりおる」といった程度のもので、少なくとも弾圧の対象ではなかったかもしれない。ちなみにインドにもこれによく似た一派があって、もちろん今も存続している。

ダキニらしき野獣の絵についてだが、似たような絵をベンガルの(先住民のための)紙芝居で見たことがある。その絵にも、鋭角的なギザギザの毛が描かれていた。そして悪魔的な口先にも覚えがある。この絵を描いた人々が、この動物にたいして悪鬼的な特徴をみていたのは間違いない。そして、姿かたちからみて、これはジャッカルだと仮定するのが一番自然であるから、やはりダキニのルーツである可能性は十分にありそうだ。それにしても、一万年かあるいはそれ以上昔の悪魔があまり姿を変えずに今に伝えられているとすれば、それは驚きである。さらにこれがもし本当にお狐さんのルーツだとするなら、何と神秘的なことだろう。

さて、下にもう一枚、猛獣の絵を掲載しておく。こちらはヒョウが狐のようなものを追いかけているように見える。狐らしき動物は逃げているようだが、何となくユーモアがあって、ほのぼのとしている。ちなみに、ヒョウとおぼしき猛獣には特に余分な意味づけはされていない。だから、野獣イコール悪魔、というわけではなく、そういう意味でも、ジャッカルらしき絵には特別な感情が込められているといえるだろう。

 
 
 

 第二章に戻る 第四章に進む

 
 chaichaiホームデカン高原古代の森パチマリ>第三章 ダキニの起源?
 



(C)shibata tetsuyuki since2004 All rights reserved.
全ての写真とテキストの著作権は柴田徹之に帰属しています。
許可なく使用および転載することは禁止です。ご留意ください。