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第八章 シヴァの山へ

 
 
 
 
パチマリ近郊にはチョーラガルという名前の山(一番上の写真)があり、その頂上にシヴァ寺院が祭られている。山はまるでカイラスを思わせる形状で、まさにシヴァが棲むにふさわしい貫禄を漂わせている。

チョーラガルへはシヴァ祭最終日の前日に登った。最終日は恐ろしく混雑すると考え、これを回避したのだが、今から考えると、それでもなお遅かった。おそらく普通に歩けば、往復4、5時間の距離だが、最終日前日でもなんと10時間を要してしまった。最初はいいのだが、登るに従い道が細くなり、…あれっ、なんか混んでいるな〜、と思った十分後には、もはやひき返すことの出来ない人ごみに飲み込まれていた。その後は頂上まで、ひたすら将棋倒しの恐怖と戦いながらせまい山道をのろのろと歩くのみである。

途中、崖の上のほうから何度も笑い声というか、からかいの声を聞いたが、その主はサドゥーたちであった。彼らは何日も前から山頂近くに到着し、おそらくこのあたりで野宿しているのであろう。自由気ままに生きる彼らは当然のことながら混雑をひどく嫌う。まったくいい気なものだ、と言いつつ、出来れば彼らの隣で高みの見物といきたいものだがもう遅い。
 
 
 
山頂到着間際、群集は山頂に立つシヴァ寺院の中にのろのろと飲み込まれていく。小さな建物だが、あの中に入るともはや出て来れそうもない。中には巨大なシヴァ像が祭られているというが、どうせ写真も撮れないだろう。そんなことより、今日中に下山できなければ森の中に野宿である。巡礼と一緒なら虎に食べられる確率はあまりないが、盗賊が現れたらどうしよう。というわけで、「道をはずれちゃいかん!」と怒鳴っている護衛の警官のあいだを突破して、柵を乗り越え、近道から寺院の裏側に回りこんだ。おそらくこちらから、帰りの列へ紛れ込めると考えたのだ。

さっさと帰ろうと思ってふと寺院裏側の庭を見ると、ここはまたシュールな風景が広がっている。シヴァの三叉戟が束となって積み重ねられているのだ。登山中、「ただでさえ危険なのに、こんなものを持ち歩いて危険じゃないか」と怒りたくなった無数の槍は、じつはここに奉納されるためのものだった。写真を撮っていたら、例によっておせっかいな男が「写真を撮ってはいけない」などとやってくる。「警官から許可をもらっている」などと適当に誤魔化しながら写真を撮っていたが、ふと時間を見るとすでに三時を超えている。真っ暗になる前に山を降りなければ、と名残惜しい気持ちを引きずりながら、下山を開始した。

麓にたどりついたのは、日没ぎりぎりの6時ごろ。近道の崖を駆け下りながら急いでこの時間である。途中も恐ろしかった。先を争うインド人たちが、急斜面の道なき道を、砂利を蹴落としながら歩くので(僕もまたその一人なのだが…)、いつ石が上から落ちてくるのか分からない。知るかぎり、怪我人は出なかったようだが、状況からすれば死人が出てもおかしくない。いずれ闇夜(シヴァの祭りはまさに闇夜に行われる)の中でも歩きつづけるのだからめちゃくちゃである。虎よりも落石のほうがよほど怖い。
 
 

山頂の様子を落ち着いて撮影できなかったが残念であった。だから上のような写真しかないのであるが、それにしても、積み上げられた三叉戟の風景は壮観だった。しかも、このような風習は僕の知るかぎりほかにない。巨大な三叉戟を山頂に担ぎ上げていたのは多くが先住民だと思うが、このような習慣の起源はどこにあるのだろう?

パチマリの森の中に三叉戟と思しき物体と、これを投げつける男の絵があったことはすでに第五章で書いたとおりだ。そこからさまざまなことが推理できそうだが、すでに何度も何度も推理してきたのでそろそろ推理も飽きてしまった。所詮、推理である。確かにシヴァがそこにいる、と信じて山を登る巡礼たちの強い信念に比べれば、やはり推理などというものはつまらないものかもしれない。

もう一枚写真を付け加えておこう。山頂付近から見たデカン高原の眺め、この広大な森に、今も多くの先住民が棲みついているという。ここは間違いなく、インドでもっとも不思議に満ちた場所の一つに違いない。

 
 
 

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