インド西北のパキスタン国境にアムリトサルと呼ばれる町がある。町にはターバンをかぶり、立派なひげを蓄えた男たちの姿が数多く見られる。彼らは他にインド人と比べていくらか体が大きく顔立ちも精悍であり、なおかつ一種神秘的な雰囲気を醸し出している。彼らを神秘的なものに見せているのはターバンやひげだけではない。おそらくその「目」が違う。それは例えるなら「アラビアンナイト」の登場人物やムガル帝国歴代帝王の肖像画の顔を連想させる。実は彼らはシク教と呼ばれる一宗教の信者たちなのだ。そしてアムリトサルは、彼らシク教徒の本拠地であるとともに精神的な聖地でもある。その象徴として旧市街の中心に立つのが黄金寺院(ゴールデンテンプル)である。町は賑やかな旧市街を中心に広がっている。人口は約百万人、パキスタン国境に接していることから何となく治安が悪そうな気がするが、訪れてみると意外なほど感じのよい町である。とりわけシク教徒の応対は紳士的なものだった。
しかし歴史的に見れば、シク教徒の歴史は苦難の連続だったはずである。それは17世紀のムガル帝国による弾圧に始まりわずか20年前に起った政府軍によるゴールデンテンプル焼き討ち事件、その報復として起ったシク教徒によるインディラ・ガンディー暗殺、さらに、ヒンドゥー教徒によるシク教徒の無差別殺人など、アムリトサルの周辺はつねに血なまぐさい事件を抱えてきた。また、アムリトサルがあるパンジャブ地方は古来イスラム軍による度重なる侵略を受けた土地でもあった。シク教徒のほとんどはパンジャブ地方の出身だが、地図を見ると彼らがヒンドゥー、イスラム両教徒からまるで挟み打ちにされているような印象を受ける。実際、シク教徒主導によるパンジャブの分離独立運動は今も終わってはいない。ある意味、危険地帯とも言えるであろう。普通ならひどく雰囲気が悪くなりそうなところだが、そうはならなかったところにシク教の独自性があった。その独自性については「シーク教の真髄その二」で書きたい。まずはシク教の魂のよりどころである黄金寺院を紹介してみよう。
黄金寺院を訪れるには布で頭髪を覆い隠す必要がある。これはシク教のよく知られている決まり事の一つである。さらに靴を脱いで素足になったら、いよいよ黄金寺院に入ることが出来る。シク教の興味深い点は、いったんこうして寺院内に入場してしまえばたとえ異教徒であってもすべての人が平等に扱われることだ。もちろん男女の差別もない。そしてまた、異教徒だから、という理由で出入りできない場所もなく、例えば宿坊(ダラムシャラー)で一夜を過ごして皆と一緒に食事をする事も可能だ。改宗すればイスラム教もまた万人は皆平等であるが、それはあくまでイスラム同胞にかぎった事である。シク教の寛容な精神は他に例がない。そして黄金寺院には、そうしたシク教の思想の重要なエッセンスがいたるところに込められている。
黄金寺院は四方に入口がある。それぞれの入口の前には浅い小さな水場があり、人々はここで足を清めてから寺院内へと入っていく。入口をくぐると、金色に輝く美しい建物が四角い大きな池の真ん中に浮かんでいるのがまず目を引くことだろう。これが本殿(ハリ・マンディル、神の寺の意味)であり、黄金寺院という名前通りの美しい姿を見せている。境内の半分を占める大きな池はアムリタ・サロヴァルと呼ばれる。アムリタとは古代ヒンドゥーの神話で登場する不老不死の霊水のことであり、アムリトサルとは「甘露の池」を意味している。
境内を歩くと何となく不思議な気分に満たされてくるように感じる。おそらく、水の反射が網膜を微妙に刺激しつづけるためなのか、空が普段とは違った色に見える気がする。境内を取り囲む建物は白で統一されている。池の周囲を巡るテラスもまた白い大理石を使用している。そしてどこからとなくタブラとハルモニウムが伴奏する聖歌(キールタン)が途絶えることなく聞こえてきて、静かにたたずむと、まるで天国を訪れたかのような錯覚を覚えるかもしれない。
この聖地には他の宗教施設にはないいくつかの特徴がある。寺院の四方に門を設けていることはすでに書いたが、これは万人に聖地を開放していることのあらわれである。池に浮かぶ本殿に行くには一つしかない橋を渡るほかないが、この建物にもやはり四つの入口がある。ちなみに、他の宗教を例にとればヒンドゥー教やキリスト教の場合は通常一方のみ、イスラム教の場合は境内の三方に入口を設けるのが普通だ。しかし、四方に入口を設けた場合、シク教寺院はどこに神様を安置するのか、との疑問が残る。じつはシク教にはいわゆる神様が存在しない。彼らは神という言葉の代わりに真理と言い、本堂内の中央に設けられた場所に聖典グラント・サーヒブを安置する。グラント・サーヒブとは、開祖ナーナクの教えを二代目グル(指導者)のアンガドがまとめたものであった。(「シク教の真髄(下)」につづく)
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