chaichai > インド旅の雑学ノート > サドゥQ&A(その2)

サドゥQ&A(その2)

サドゥ Q&A(その2)

インド旅の雑学ノート メニュー


サドゥQ&A(その1)からの続きです。



>サドゥには宗派がありますか?

いくつもあります。サドゥ集団最古の組織であるナガのほか、ナート、アゴーリ(以上シヴァ派)、シータラーマ(ビシュヌ派)などがあります。

>一目でサドゥの宗派を見分けられますか?

見分けのつかない場合も結構あります。

とくに移動中のサドゥは似たような格好をしているので難しいことが多いです。サドゥ同士も相手の宗派を見誤ったりしています。

>宗派による外見上の違いにはどんなものがありますか?

額に描いた模様が横三本ならシヴァ派、縦線なら基本的にはビシュヌ派です(シヴァ派の聖地であるカトマンドゥー、パシュパティに集まるシヴァ派サドゥの多くがなぜか縦線ですが…)。

あと、全身黒あるいは半身黒の衣装を着ているのはおそらくナートかアゴーリです。また、ナート、アゴーリともに耳輪をしています。ただし、これらについてもたくさんの例外があります。

全身に灰を塗っているサドゥはたいていはナガサドゥです。

>宗派によって挨拶に違いはありますか?

ナガの場合は「オームノモナラヤン」、ナートの場合は「アーデース」、シータラーマの場合は「シータラーマ(シッタラーマと聞こえる)」などと挨拶します。

しかし普通に「ハリオーム」「ナマスカール」「ラームラーム」などでもぜんぜん構いません。

>宗派による争いはありますか?

ほとんどありません。

最大宗派でありまた最古の組織でもあるナガサドゥが一番威張っているようですが、そんなナガサドゥもまた、黒魔術系のナートやアゴーリに対して一目置いていると耳にしたことがあります。

またビシュヌ派のシータラーマやその他の自称サドゥは非常におだやかなので、宗派闘争はまずありえません。

サドゥは信者獲得に熱心ではないので争う理由がないともいえます。ただし、シヴァ派(武闘派)サドゥの世界では、個人的な闘争はたまにはあるようです。

>武力による闘争もありますか?

サドゥによるサドゥ殺しの話を二度聞いたことがあります。こういう事件はおそらくシヴァ派のサドゥに限られます。

また、英国統治時代には、大地への侵略者であるイギリス軍を、武闘派サドゥがシヴァの槍で串刺しにするような事件も数多くあったようです。

>サドゥは平和思想ではないのですか?

サドゥの多くは平和的ですが、平和思想などという借り物の思想を信奉することはあまりなさそうです。

それにシヴァは戦いの神なので、シヴァ派であれば武力闘争の完全否定まではいかないでしょう。 槍も刀を持つサドゥも普通にいます。

>異なる宗派間での付き合いはありますか?

たくさんあります。

異なる宗派のサドゥ同士で一緒に旅をしたり、同じ庵で暮らしたりすることもあります。ただしその場合、シヴァ派サドゥが立場上、やや上位とされる場合が多いようです。

>ヨーガはサドゥが発明したのですか?

ヨギ(ヨーガ名人)と呼ばれるサドゥが中心となり、インド古来の知恵を集合して編み出されたと思われます。基本的にはシヴァ派のナガサドゥ等がその中心であったと考えられます。

>サドゥはどんなヨーガ修行をしていますか?

特殊な修行としては、右手を上げ続ける行、無言の行、決して座らない行などがあります。また、サドゥ本にも登場した珍芸(リンが芸?)を得意とするナガサドゥがたくさんいます。

>真面目に修行してますか?

ヨギ(ヨーガ行者系サドゥ)であれば、ヨーガはある程度はマスターしていますが、さらなる努力を積み重ねるサドゥは少ないようです。修行をしている姿はあまり見かけません。普段は遊んでいます。

ただし例外として、真面目なサドゥがガンガー沿いで瞑想にふけっていたりしますが、その多くはサドゥ世界の傍流のようです。本格的なサドゥほど何もしないような気がします(本格的でないサドゥも遊んでいますが…)。

また、生きていること自体がヨーガだと主張するサドゥもいます。

>サドゥは菜食主義ですか?

多くが菜食ですが、一部のサドゥは肉を食べ、酒を飲みます。

宗派によって異なりますが、一般的には酒を飲まないはずのナガの中でも平気で酒を飲むものもいるようです。

>肉を食べたり酒を飲んだりするのは罪悪ではないんですか?

ナートやアゴーリといった一部の宗派は逆に肯定しています。集会ではわざわざ肉と酒を用意するそうです。 すべてを貪り食うことで善悪を超えていくと思想なんだと思われます。

とは言っても普段は菜食という人がほとんどです。あるナートサドゥは、
「肉も酒も高価だし、とりたてて食べたいとも思わない」と話していました。

>写真集に素っ裸のサドゥが多数登場しますが、普段も裸ですか?

いろいろですが、基本的には祭りのときだけです。 庵ではいつも裸というサドゥはいますが、出歩くときには腰布ぐらいはしています。日常的に(多少寒くても)上半身裸といったサドゥはたくさんいます。

ちなみに、素っ裸になるサドゥはナガサドゥだけです。

>どうして髪やヒゲを伸ばしっぱなしにするのですか?

長い髪とヒゲは生命力の象徴です。

サドゥ本に数多く登場したナガサドゥの場合は、二回剃髪し、その後は伸ばしっぱなしにします(迷いが出たときにさらに剃髪することもあるようです…)。

ちなみに、まだ一度も剃髪していない状態をブラムチャーリー、一度剃髪したあとはドゥット、そして二回目の剃髪を終えた後、彼は晴れてナガババとなり、一人前のナガサドゥとみなされるようです。

(追記)
ある人から、ナガババへの道は、ブラフマチャーリー(Brahmachari)→
マハープルーシュ(maha prush)→アブドゥト(avdhut)→ナガババではないか、との指摘を受けましたので、ここに追記しておきます。

>アクセサリーを身につけているサドゥが多いようですが?

サドゥは結構おしゃれです。人によってですが、着こなしなどのセンスもあります。

>物に執着するのはサドゥの教えと矛盾しませんか?

アクセサリー程度のおしゃれが問題になることはまずありません。小さなことにはあまりこだわらないようです。

また、シヴァ派サドゥの一部は、身につける衣装やアクセサリーにこだわりを持つ人もいます。本物の虎の皮などは(シヴァの)力の象徴として重宝されます。

(シヴァ派サドゥはある意味、物に執着します。刀や槍、杖、鉢、菩提樹の実その他アクセサリーの類には呪術的な力があると考えられます)

>サドゥの世界でイジメはありますか?

見たことも聞いたこともありません。そんな雰囲気もあまりないです。

>サドゥの上下関係は厳しいですか?

上下関係は師と弟子といった縦の関係を中心にしています。その関係は絶対のものとなりますが、実際、師が弟子に辛く当たるような場面は目にしたことがありません。

また、たとえば大物サドゥが道を通りかかったとしても、直接の弟子でなければ、そのほかのサドゥは一応の敬意を示すぐらいで事足ります。大物サドゥが誰かをつかまえて用事を言いつける、などということもありえません。関係は非常にゆるいといえます。

サドゥはあくまで個人事業主であり、しかも営利を伴っていないので師弟関係をのぞけばあまり人に気を使う必要はないと思われます。

>サドゥは社会を恨んだり批判したりすることがありますか?

嘲笑したりすることはあっても、恨んだり批判したりというのはまずないでしょう。

プライドの高いサドゥたちの一部は、自分たちの生活こそ最上、と考えていますので、世間を恨むようなことはまずありえません。

サドゥになる前には、場合によっては恨みつらみがあったのかもしれませんが、サドゥとなったあとは、少なくとも建前上は、彼らは別次元の世界を生きることになります。

>サドゥは世間に興味を持っていますか?

たいして興味はないでしょう。ただし、否定もしません。

サドゥの前で俗人同士が俗世間の話題で盛り上がっているのをサドゥがおもしろそうに眺めていたりします。

>サドゥが一般人の相談を受けることはありますか?

それはあります。現在は分かりませんが、古くは権力者がサドゥに人生相談していたような例も多くあるようです。

>悩み相談のようなことをすると特別な謝礼が必要ですか?

たぶん関係ないと思います。信者たちは普通にお布施をするだけだと思います。

>一般インド人はサドゥのことをどう思っていますか?

人によりけりです。ひそかに嫌ったり軽蔑したりする人もたくさんいますが、サドゥのほうはまったく気にしていません。

>サドゥは自然に興味を持っていますか?

旅を続けるわけですから自然に興味のないサドゥはいないと思います。ある意味、スペシャリストです。ただ、興味の持ち方はさまざまで、僕らと同じように花を愛でるような人もいれば、自ら自然そのものみたいになってしまう人までいます。宗派によってもそれぞれ特徴があります。

>サドゥの最終目標は悟りをひらくことですか?

よく分かりませんが、(一般的な意味での)悟りをひらくという概念自体が仏教以来のものなので、仏教よりさらに古い伝統を持つ、たとえばナガサドゥなどは、また別次元の世界に生きているように思えます。

また、同じシヴァ派であるナートサドゥの世界は、仏教の影響を受けて成立したとされていますが、ナートに影響を与えた仏教はすでにインド土着の影響を受けた密教でしたので、ナートもまた、土着的で魔術的思想を根幹にしているものと考えられます。

(実際には、たいして何も考えていないサドゥが、宗派を問わず大多数を占めるものと思います。それもいいことだと思いますが…)

とはいえ、仏教的な思想は今もインドに息づいているので、特にアシュラム(修行道場)などでは、悟りをひらく云々が話題になることもあるのかもしれませんが、アシュラム世界には詳しくないのでそのあたりはよく知りません。

サドゥ本では、シヴァ派サドゥのひとつの理想的な形として、自らがシヴァ神になることだと書きました。 そのことについてはサドゥ本のなかに散りばめたつもりです。

>ビシュヌ派サドゥはどうですか?

よく分かりませんが、真面目に巡礼しています。悟りというよりより神に近づくための祈りといった感じです。近づきつつある死への準備段階と言ってもよいのかもしれません。

>サドゥにオウム真理教のような危険思想は存在しますか?

社会に対する恨みつらみというのはほとんど聞いたことがありません。なのでオウムのような集団が生まれることはありえません。

ただ、戦いの神シヴァを信奉するシヴァ派サドゥであれば、危険な思想や情熱とは常に表裏一体の関係にあるとはいえます。 そこで一部の反社会的な黒魔術が行われる可能性はありますが(実際はほとんどありません。伝統的死体食いサドゥをのぞけば…)、そうしたものがサドゥ間で流行することはまずないと思われます。

個々の(いっぱしの)サドゥというのは非常に天邪鬼で、他者からの影響を極度に嫌い、あらゆる束縛から自由であろうとします。悪く言えば勝手バラバラということです。

アシュラム(修行道場)やクンブメーラといった祭りをのぞけば、ともに行動するサドゥ集団の人数というのは多くても10人ぐらいまでです。平均で言えば、1人から3人ぐらいでしょうか。サドゥは他人とのつきあいが面倒だと思うと、すぐに1人どこかに行ってしまいます。また、それが許されています。

というわけで、サドゥ世界では、巨大な集団として全体主義に陥る危険が非常に少なく、3000年以上の歴史を生き抜いてきた秘訣もそこにあったと考えられます。

>サドゥはインド全土にいますか?

サドゥの本拠地は北インドですが、例外をのぞけばインド全土でその姿を目にします。

サドゥの代表格であるナガババについて言えば、ガンガー全域、極端な乾燥地域をのぞく西インド全域、デカン高原北部、モンゴリアンが大多数を占める地域をのぞくヒマラヤ一帯、ネパールの一部等、非常に広範囲な地域に庵やアシュラムを構えています。

>インドに行けばすぐにサドゥを見られますか?

北インドの聖地に行けば、どこでもたくさんいます。サドゥの種類や数は聖地によって違うので、本格的なサドゥを数多く見たいということであれば、多少、コツが必要かと思います。

>サドゥが参加する祭りは何がありますか?

彼らが主役となるのはサドゥ本にも登場したクンブメーラのみです。

サドゥが多く集まる祭りはほかにもありますが、公式の行事には参加しないようです。普通に遊んでいるか、即席ドゥナ(火を祭る場所)を作ってそこで寝泊りしながら信者からのお布施を集めます。

シヴァ派以外のサドゥはたいてい乞食の列などに並んで賽銭稼ぎをしていたりします。

>サドゥとジャマイカのラスタ(レゲイの根幹思想)は関係がありますか?

先日、ラスタに詳しい人から聞いた話では、ジャマイカには多くのインド移民が当時存在していて、彼らからの影響も受けつつラスタという思想(宗教)が編み出されていったそうです。

>ドレッドヘアーの起源はサドゥですか?ラスタですか?

それもいろいろな説があるようですが、ラスタに詳しい人の話では、黒人特有の髪の毛は、放っておくと簡単にドレッドになるそうです。対するインド人は基本的には直毛に近いので、ドレッドは灰や泥をまぶして作り上げるものです。ただし、その歴史は相当古いでしょう。

>ラスタは同性愛を禁止していますが、サドゥはどうですか?

サドゥの同性愛者というのは今まで聞いたことはありません。雰囲気からいっても、たぶんないと思われます。

>サドゥの世界は衰退しつつありますか?

そう考える人もいますが、依然として志願者はたくさんいます。ただ、質的には時代とともに衰退していくと考えるのが自然だと思います。あるサドゥもそのように話していました。

>サドゥも時代に影響されるんですか?

もちろん多少は影響されるでしょう。一般人からのお布施で食べているわけですから…。

>サドゥの社会的役割とは何ですか?

社会的役割を放棄したのがサドゥですが、あえて言えば、床の間のようなものでしょうか。無用の用ということだと思います。 それと、社会からの脱落者たちの受け皿ともなっています。

また、時代の最後尾から社会を影からそれとなく見守り、制御するような役割を持っているとも考えられます。

>サドゥがいなくなるとインドは困りますか?

精神的な重石を失い、一気に暴走してしまう可能性はあるような気がします。

人々はサドゥを見るたびに、神様の世界は不滅だなあ、とちょっと癒されような気分になったりします。また、いざとなったらサドゥにでもなるかな、と思うことで気が楽になります。



(最後に)

サドゥ研究を特別にしてきたわけではないので間違いなどもあるかもしれません。また、サドゥは複雑で広範囲な文化を持っているため、すべてを網羅して書くことが非常に困難であることをご理解ください。サドゥQ&Aでは、一般的な会話を意識して文章を作りましたので、突っ込んだ話は省略しています。というか、それをはじめるときりがありません。

ご指摘ご質問等は大歓迎です。メールにてご連絡ください。(08年春)








インド、ネパールなど南アジアの写真chaichaiへ



(C)shibata tetsuyuki since2007 All rights reserved.
全ての写真とテキストの著作権は柴田徹之に帰属しています。
許可なく使用および転載することは禁止です。ご留意ください。