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ネパールの民族分布は大変複雑だ。よく知られている民族名だけでも軽く両手を超えてしまう。すべての民族を拾い出せば、五十以上になるのだろうか。加えてカーストも存在しているから、なおさら話はややこしくなる。さらに、国の基盤を支える中心となる民族ははっきりしないのが、ネパールの弱点にもなっている。


モンゴリアン系グルン族の女性

ネパールでもっとも優位な地位にある民族は、いわゆるバウン(ブラーマン)、チェットリといわれる人々で、全人口の約半分を占める。彼らはいわゆるインドアーリアの血統を比較的純粋な形で引き継ぐ由緒正しい民族といわれるが、実際はどうなのか。ネパール国王一家もその流れにあり、ネパールの公用語であるネパール語も彼らの言葉である。全国民の半数というのは、あまり多いとはいえないが、それでも最低必要条件を満たしているといえるだろう。

しかし、例えば僕たち旅行者がネパールでもっとも親しく接するのは、あるいは別の民族かもしれない。例えばネワール族。現在、ネパールの首都であるカトマンドゥーをはじめ、その近郊にある、ネパールでもっとも洗練された都市文化を作り上げたのが、このネワール族である。彼らはアーリアとモンゴリアンのハーフとされ、宗教もヒンドゥーが優勢だが、言語はチベット系であり、インドヒンドゥーとは完全に一線を画している。

最近はヒマラヤ高地に住むいくつかの民族が実力をつけつつあるようだ。なかでももっとも有名な民族はシェルパだろう。ヒマラヤ登山には欠かすことの出来ない存在として、世界中にその名を知られている。彼らはおもにエベレスト一帯に暮らすチベット系民族で、顔も文化もチベット人と非常に近い。昔から交易を中心に暮らしてきたので非常に社交的で頭も切れる。登山隊が彼らをガイドの人材と考えたのも当然といえるだろう。

カトマンドゥーの西、アンナプルナやマナスル周辺にもチベット系民族が多い。アンナプルナの西を流れるカリガンダキ川周辺に住むタカリ族も、やはりシェルパ族同様、頭の良い民族だが、非常に信仰心が薄く、やや閉鎖的でもある。また、アンナプルナの東側マルシャンディー川の一帯にすむ、グルンと称する(本物のグルンはこれを認めていない)民族は、金のない若者にどんどん援助してビジネスチャンスを与えることで、民族の繁栄を築いた。現在は、若者を中心に多くがカトマンドゥーや海外にまで進出していて、特に冬になると、彼らの村は廃墟のように寂しくなってしまう。

ところで、これを読む人は、この辺でもう頭が混乱してきたのではないだろうか?これ以上、○○族や××族が出てきても、わけが分からない、と。まあ、それは当然のことだ。僕はネパールの山を、延べ百日近くも歩き回り、今日は何族、明日は何族、とやってきたからこそネパールの民族にも興味がある。でも、知らない人には興味の持てる話ではない。ただ、もしネパールの山を歩くなら、これを知ると知らないでは大違いだ。民族毎に文化風習が全然違う。もっと具体的に書くと、例えば、若者の恋愛事情がまるで違う。僕が連れていたシェルパ族のガイドは特にそっち系の知識に詳しく、「あの地域の女の子はお堅いからおもしろくないよ」などと、仕事そっちのけで、人の旅行計画に口を挟んだものだ。

ネパールを歩いていると、まるで日本人だな、と思えるような顔によく出会う。村人と一緒に酒でも酌み交わしていると、言葉が通じないことも忘れて、その懐かしさに酔ってしまう。僕はネパールを旅行中、いつもある民族に似ていると言われ続けた。ある民族とは、グルン族のことである。

グルン族は、ある分野において世界的に有名な民族である。グルカ兵、と呼ばれる史上最強の陸軍を持つネパール兵の主力を担うのがグルン族なのだ(グルカ兵には、そのほかにもマガル、ライ、リンブーなどモンゴリアン系民族が多いが、いや、そうではなくチェットリが中心だ、と述べる人もいる。詳細は分からない)。かつて、インドを支配したイギリス軍がネパールに侵攻したときも、このグルカ兵を相手に非常にてこずったと言う歴史があり、その後は、イギリスの傭兵として、世界各地の戦争に投入され、活躍した。ネパールがかつて一度も植民地化されなかったのも、勇猛果敢なグルカ兵のお陰なのだ。その中心的存在であるグルン族に、僕は非常に似ているのだという。

グルンの村は、たいていはネパール中央部のあまり高くない山の中にある。彼らの家にも何回も泊まったことがあるが、なかなかの好漢が多く、おもしろいのだが、酔っ払いが多いのが難点だ。気性はやや荒いが、人情に厚く、やや馬鹿正直でもある。ただ、敵に回すと怖そうだ。彼らは大きなククリナイフを常時手に持っているから、怒らせたら最後、一発でぐさりとやられてしまうだろう。山賊にもグルン族が多そうだ(山賊がよく出没するアンナプルナ南側の山地にもグルンの居住地が多い)。

グルン族は、ガイドとしてよりむしろポーターとして有名だ。彼らはときに百キロを超える荷物を背負って山道をすたすたと歩いていく。すごいといえばすごいが、彼らはまず、金持ちにはなれないだろう。シェルパなどは決してそのようなことはしない。荷物は牛やロバが運ぶものと決まったいる。

そういえば、グルン族の女の子はなかなかかわいい。とくに美人という訳ではないのかもしれないが、性格が明るく、気さくだ。峠の茶屋で素朴な村娘と話していると、遠く江戸時代かなんかまでタイムスリップしたようで、なんともいえない気分になる。

ネパールの山奥には、一般的にほとんど知られないいくつかの民族がいる。ネパールの諸部族は普通、山の尾根沿いに住むが、一部の民族は人目を避けるように谷間でひっそりと暮らしているというのだ。その話を聞くたびに、僕は明治の小説「高野聖」を思い浮かべる。ヒルの降る森をくぐり、たどりついた谷間の一軒家、という想像は、旅行者を惹きつけてやまないものがある。また、ヒマラヤ山麓の高地にも、ひどく気の荒い民族がいくつかいて、いまだに他民族を受け入れることがないそうだ。これを話してくれた人によると、「彼らは元祖チベット人」だというのだ。「元祖チベット人」とは、いったいどんな人々だろう。

さて、まだまだ話したいことがあるような気もするが、これ以上はやや専門的な話になってしまうので、この辺でやめておこう。ネパールの民族についてもっと知りたければ、現地で実際に山を歩き、民家に泊まってたくさんの人々と話をすることだ。観光地では絶対に経験できないさまざまな発見があるに違いない。ただし、村にはトイレもほとんどなく、ダニやノミに悩まされ眠れない夜が続くかもしれない。そんなときは、ネパールのククリラムかロキシーをぐぐっと飲み干し、犬の遠吠えを聞きながら、伝説的な夜の世界にもぐりこもう。


(追記)
ネパールの民族については、古今書院から「ネパールの人々」という本にとても詳しい説明がある。ただし、八千円以上もする。僕の本棚では一番の豪華本だ。ネパールの村めぐりについては、フォトエッセイ「ネパール 山の村を歩く」を参照ししてください。

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