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聖地巡礼の旅へ

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インドには星の数ほどの聖地がある。 北はヒマラヤ高峰に囲まれた天界のような聖地から、南は大陸の最南端、広大な海に面する小島まで、聖地はさまざまな表情で巡礼たちを神々の世界へと迎え入れる。

聖地には寺院があり、それぞれの神をまつるが、聖地巡礼の魅力は、ときに聖地自体の風景やその道中の風景、そしてそこで出会う人々や動物たちとの交流にあるともいえるだろう。 すべての事象が神に通じる、とインド人は古くから考えてきたのだから、聖地巡礼に決まった形はない。好きなように旅をすればよいと思うし、一部のインド人もそうしている。インドの聖地は万人に開かれた世界である。

(異教徒の侵入を禁止している寺はある。しかし聖地自体に滞在するのは自由だ)

インドの聖地が万人に開かれている理由のひとつは、人々と神々との結びつきが自然を介して行われている場合はほとんどであるからだ。巨大な自然(神)を目の前にして、人々は謙虚さを失うことがない。インドの神々は、「ヒンドゥー」という枠の中だけに納まる小さな世界ではないことを、人々はなんとなく知っているのである。

聖地のことをインドではもともとティールタと呼んだ。これは川の浅瀬という意味である。浅瀬でなければならない理由はいくつか考えられるが、もっとも一般的な考えとしては、つまり巡礼は、その浅瀬を渡って神の土地へおもむく、あるいは仰ぎ見る、といったことにある。

こちら側の岸辺が日常であり、そこから川を渡り、あちら側の非日常の世界へと巡礼たちは旅をするのである。あちら側とは神の世界のことであるが、それはときに死の世界を意味し、また、魂が帰っていく大自然(またはそれを超えたもの)をも象徴している。


聖地とは、神の世界へと渡し場であり、結界でもある。浅瀬はその一つの象徴であるが、その他の自然環境としては、洞窟、急流が流れ落ちてきたちょうどその場所(あるいは滝)、温泉、丘の上、森の入り口、川の合流点、地下水脈が姿を見せる場所(あるいは源流)、などの特異な自然環境が聖地とされてきた。

そのため、聖地は非常に美しい場所が多いが(街が巨大化して景観が失われた聖地も多いが…)、おそらくもっと重要なことは、そこにエネルギーが集中しているということであり、あるいはエネルギーの通り道となっている必要がある。エネルギーとはインドでは神そのものでもあるから、巡礼たちは聖地で神の存在を全身で感じ、その向こう側の世界へと想いを馳せる。

巡礼たちは、旅のために家を一歩出たその時から、神々のエネルギーに導かれるように聖地へと向かう。同じように、たとえば我々日本人なら、インド(天竺)への憧憬、それはしばしば人が言うように、「インドから呼ばれている」という意識から巡礼の旅は始まっている。

そんな旅の終着点が聖地であるのだが、さらなる奥、神々の領域に踏み込むことがあるのかといえば、苦行者などの特殊な人をのぞけばそれはない。ヒマラヤの頂(いただき)や人も住まぬジャングル、あるいは大海原のさらにその向こう、といった世界はもはや聖地というものではなく、完全に神々の領域であると言えるだろう。


聖地とは、神々と人が出会う場所のことである。神々はすべての場所と物事に偏在するとインド人は考えるが、そのエネルギーが集中する場所がとくに聖地として崇められてきた。 聖地を特定してきたのは多くが古代のリシ(聖仙)か、あるいは先住民族のシャーマンであったと考えられる。森羅万象(いわゆる地勢学的なものも含めて)を知り尽くしたリシやシャーマンたちの目に狂いはないだろう。

聖地に溢れるエネルギーは神々や自然からのものだけではない。聖地は人々の交差する場所でもある。インド全土から集まってきた巡礼たちはもとより、苦行者、聖者、世捨て人といった出家者たち、衣料品やアクセサリーなどをあつかう行商人、蛇使いや猿回しといった大道芸人、そして出稼ぎなど、多彩な人々が聖地をうろつく。

聖地でとくに目立つのは砂漠の人々だ。ジプシー気質の彼らは西の果てから、遠く南インドの果てまで自由自在に旅をする。男なら派手なターバンを頭に巻いているのが彼らであり、女なら色鮮やかな衣装に、腕には巨大なバングルを何重にも巻いているはずである。

出家者の類はさらに多い。なかでも、全身に灰を塗りたくった苦行者ナガババ、全身を真っ黒な衣装に包んだタントリカ(魔術師サドゥ)、楽器を手に歌い踊る狂信者たちなど、個性あふれるアウトサイダーたちである。アウトサイダーであればあるほど、人は神の世界に近づける、と一部のインド人は考え、それを確実に実行するのである。

聖地は動物たちの楽園でもある。動物たちは神々の忠実な従者として、場合によってはそのへんの人間よりも神に信用されている。とくに、シヴァに付き従う牛は聖なる動物であるから、特に崇められはしないものの(崇められる特別な牛もいる)、完全な自由を享受する。そして猿は、巡礼からエサをもらうだけにとどまらず、他の巡礼からエサを奪い取っては聖なる寺院の屋根でやはり自由を満喫する。


聖地はアウトサイダーたちに優しい。部族民に出家者、そして動物たち、彼らは社会から離れている分だけより神々(自然)により近い存在と考えられる。そして、同じくインド社会から遠く離れた外人たちもまた、聖地とは比較的相性がよい。現地人よりさらにどっぷりと神々の世界に漬かりきって、インド服に身を包み、ときに奇妙な振る舞いをしている外人というのも、インドの聖地ではごくありきたりな日常風景である。

聖地は朝と夕にもっとも輝きを増す。夜は神々の領域であり、巡礼たちはその出入り口に立って、神々の動きを見守り、祈る。

ガンジス川中下流域の聖地では、多くの冬の朝を靄が包み込む。そのなかをショールに身を包んだ巡礼たちが、まるで影のように流れていく。靄が消える頃、川や海の向こうから赤い太陽が、中天まで輝くことなく上っていく。それはインドの旅における一つの原風景でもある。

夕暮れのプジャ(礼拝)も印象的だ。 陽の落ちた岸辺に松明のかがり火がゆれ、巡礼たちの歌声が聖地を満たす。川には葉っぱで作った精霊舟の火がいくつも揺れる。プジャを終えて、巡礼たちは川岸を離れて、裸電球の揺れる賑やかな街へと戻っていく。

聖地にはさまざまな表情があり、上に書いたことがすべてではない。限りある生のなかで、すべての聖地を訪れることは誰にとっても不可能である。とはいえ、聖地から聖地へと流れ行く旅のなかでふと目にする光に導かれて、巡礼者たちはふたたび聖地を目指す。


(注)
当ページ掲載の写真は、上から、プラヤーグ(サンガム)、カニャークマリ、バドリナート(から見たニルカンタ峰)、プラヤーグ(サンガム)、ハリドワール。

プラヤーグ、バドリナート、ハリドワールなど、ガンジス川(と支流)にちなんだ聖地の紹介は「ガンジス川巡礼誌」ですでに紹介しています。

また、インドの地域別の簡単な聖地紹介ページを準備中です。








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