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インド舞踊(1)概要

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インドには数多くの伝統舞踊が存在する。代表的なものとしては、南インド、タミル地方の巫女たちの舞踊に起源を持つバラタナティヤム、同じく南インド、ケーララ州の伝統舞踊の粋を集めて作り出された不可思議なパントマイム劇カタカリ、北インド、イスラムとヒンドゥー双方の影響を受けて成立した躍動的な舞踊カタック、北東インド、マニプール州の民俗舞踊から生まれたマニプリなどがあり、とくにこの四つの舞踊を総称して、インド四大舞踊と呼ばれている。

これら四大舞踊のうち、もっとも歴史が古いとされているのがバラタナティヤムであり、3000年以上の歴史を持つとされている。バラタナティヤムは本来、神へ奉納されるための舞踊として寺院内だけで踊るものであった。一般化したのは英国統治時代以降で、いったん廃止され荒廃したこの舞踊は識者たちの手により舞台芸術として復活した。

バラタナティヤムと同じように、神への奉納を目的として形作られた舞踊はおそらくインド全土にあったと思われる。よく名前を聞くものとしては、オリッサ州のオディッシー、ケーララ州のモヒニアッタム、アンドラプラデシュ州のクチプディなどがある。



バラタナティヤムがインド古来の正統的舞踊とすれば、カタカリとカタックはやや異質である。

カタカリ(下の2点の写真)は、複雑怪奇な顔の表情とムドラーと呼ばれる魔術的な指の動きからなるパントマイム劇である。華美な王冠と原色を多用するメーキャップ、さらに巨大なスカートなど、毒々しいまでに奇抜な姿で観客を圧倒する。踊り手はすべて男性であるところから、日本の歌舞伎や中国の京劇の起源とする説もある。

カタカリは椰子の森が広がる南国ケーララに伝わる伝統的な舞踊や武術の影響を受けて誕生した。その底流を支えるのは南国の森に生きるさまざまな精霊たちと、精霊たちを操る神の存在にある。

一方、カタックは、フラメンコの起源ともされ、奔放で枠にとらわれない自由な表現が特徴的だ。激しいステップから、足首の鈴を楽器のように打ち鳴らし、演奏者との掛け合いなどを通じて、観客を魅了する。

北インド、ラクノウのイスラム王朝内の宮廷舞踊として成立したため、他の舞踊と比較すると、宗教色がやや希薄である。その分、舞台は明るく快活でノリがよい。砂漠のジプシー(ロマ)たちからも影響を受けているようだ。

マニプリはまだ見たことがないので説明は控えるが、インド東北部に住むモンゴリアンの舞踊にルーツを持つようである。




じつはこのテキストを書きながら、インド四大舞踊のセレクトの意味にはじめて気づいた。

四大舞踊の中心は、おそらくインド最古の伝統を持つバラタナティヤム(およびこれと類似する目的で演じられたその他の舞踏)である。さらにイスラムの影響を強く受けた北西インドの風土を象徴するカタックがあり、南インドの森にひっそりと息づくカタカリが、大陸の片隅で強烈な存在感をアピールする。そしてマニプリは、インド文化にひそかだが、じつは強い影響を与え続けたモンゴリアンの文化を象徴するものであるのだろう。

四大舞踊はまさしく全インドの象徴である。この四種類の舞踊を見れば、インドを時空間的に理解することも可能なのかもしれない。マニプリをまだ見ていないのが非常に残念だ。

ページの最後にお断りしておきたいのは、僕自身はインド舞踊に関してまったくの門外漢ということである。にもかかわらず、インド舞踊に関するページを作成したのは、2008年の年初めに、あるきっかけから、バラタナティヤムの舞踊家ギャネンドラ・バジパイ氏と知り合う機会があり、その後、何度か撮影をさせてもらったからである。

次のページ「バラタナティヤムその1」では、ギャネンドラ・バジパイ氏の踊り(下の写真と当ページ一番上の写真)を中心に、無謀とは思うが、バラタナティヤムの説明を試みる。

(2008年春)






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