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クトゥブ・ミナール2 −モスク− デリー(2)

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クトゥブ・ミナールの二回目。今回はその中心にあるモスクを紹介する。

正式名称はQuwwat-ul-islam-Masjid。クッワト・アル・イスラーム・マスジッドと呼べばいいのか。12世紀終わりから14世紀にかけての建造である。広場の中央には、クトゥブ・ミナール(1)で紹介した「錆びない鉄柱」が立っている。どうしてもこれに注目が行きがちだが、モスク自体も見ごたえがある。

モスクには二つの顔がある。一つは純粋なイスラム様式から成るものであり、もう一つはヒンドゥー教との混交から成るものである。というのは、モスク建造には、すでにこの地にあったヒンドゥー建築の石材を大量に使用しているという事実がある。

モスクの北と西に回廊が続いているが、このなかを歩いていると、これはヒンドゥー寺院ではないかと錯覚を覚える。俗の言う、「千本柱」の回廊と言われれば、疑うこともないだろう。 この部分については石材を利用したというより、ヒンドゥー寺院の建築をそのまま流用したのでは、と思えるほどだ。


ヒンドゥー教とイスラム教の混交がクトゥブ・ミナールの魅力である。たとえば上の写真。独立したゲートは、やはりヒンドゥー寺院をそのまま流用したような印象を受けてしまう。破壊したヒンドゥー寺院の石材を再利用したとされるが、本当のところはどうなのだろう。

下の写真四点は、いずれも削られた神像。イスラムお得意の偶像否定である。 しかし、モスクを見る限り、彼らもヒンドゥー寺院の壮麗さにはやはり心打たれるものがあったに違いない。また一説によると、モスク建造にかかわった職人には多数のヒンドゥー教徒がいたらしい。


やがて夕方の陽射しがモスクを照らし始める。回廊を構成する「千本柱」が大変美しい。異教徒をも魅了した石の輝きに誰もが包まれる。下は赤砂岩で作られた、純粋にイスラム建築である部分。しかし、夕暮れの光は宗教の違いをこえて、世界を赤く染め上げていく。

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