chaichai > インドの歴史遺産>錆びない鉄柱(アショカ・ピラー)

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クトゥブ・ミナール1−錆びない鉄柱ほか− デリー(1)

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インドの首都デリーには数多くの歴史遺産が残っている。なかでももっとも魅力的なのがクトゥブ・ミナール。インドを代表するオーパーツ(「場違いな工芸品」の訳。一般的常識ではありえない物体を指す)「錆びない鉄柱」があることで知られている。「錆びない鉄柱」についてはこのページの下のほうで紹介する。

クトゥブ・ミナールは中心地から10キロ以上南にあるため、意外と訪れていない人が多いが、それはいかにも惜しい。デリーでは何をおいても、まず見にいきたい遺跡である(1993年世界文化遺産指定)。

クトゥブ・ミナールのミナールはミナレットのこと。つまり塔を意味している。それが上の写真だが、実際には、クトゥブ・ミナールはさまざまな遺跡で構成された世界である。一つ一つ追っていこう。

まずは塔。奴隷王朝の王アイバクによって13世紀に建てられた。奴隷王朝というのは、これらの王が奴隷階級出身だったことから、そのように称されている。アイバク自体は中央アジアの出身だったが、流れ流れてデリーの王となったのだ。

クトゥブ・ミナールの高さは72・5メートル。しかし事故以前の高さは100メートルを超えていたとされている。主に、赤砂岩によって構成されている。夕暮れの光を受けるととくに美しい。


中央モスクに行く前に、少しはずれたところにあるイレトゥミシュ廟(下の写真)。1236年建造の墓である。建物内前面に刻まれたイスラム文様が美しい。


そして「錆びない鉄柱」である。場所は、中央にあるモスク内広場の中心。モスク自体は12世紀以降の建造だが、「錆びない鉄柱」自体はじつはひどく古い。鉄柱表面に刻まれた碑文によると、この鉄柱は西暦415年、マウリヤ朝によって作られた。一部、アショカ・ピラーと呼ばれているが、時代的には一致しない。作られたのは「ヴィシュヌパダギリ」とされているが、その場所ははっきりしない。その後、時代を経てデリーに移されたものらしい。ただし、運んだのはイスラム勢力ではない。というのは、現在あるモスクはヒンドゥー寺院を破壊して作られたからだ(デリー(2)クトゥブ・ミナール2参照)。

「錆びない鉄柱」は、高さ約7メートル、地下部分がさらに2メートル。極めて純度の高い、つまり純鉄で作られているが、それが錆びない理由ではない、ということが、最近の調査で分かってきている。

1500年を経て錆びなかった最大の理由は鉄柱の表面にコーティングされたリン酸化合物だといわれている。門外漢なので詳しいことは分からないが、それが本当なら、もはやオーパーツというほどのものではないのかもしれない。ただし、だからといって「錆びない鉄柱」の価値を貶めているわけではない。古代インドの科学技術の高さがいかにすごかったか、ということを鉄柱は証明しつづけている。

(補足)
なお、鉄柱を背にして腕をまわし、両手が届くと幸せになる、という言い伝えがあったそうだが、現在は鉄柱の周囲に柵がめぐらされてしまった。また、「錆びない鉄柱」をじっくりと見ると、じつは結構錆びが進行しているのがよく分かっておもしろい。

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関連ページ
デリー(1)クトゥブ・ミナールその2




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