インドを長いあいだ旅してきたが、インド人同士がナマステと挨拶するのをあまり目にした記憶がない。村に滞在すると、1日に何度か見かけることもあるが、それも毎日のことではない。親子でも、朝起きたからといっていちいち挨拶をかわすことはないように思うが、さて、どうだろうか?
ナマステ、正式にはナマスカールという。ナマス、つまり南無阿弥陀仏の南無を行う、という意味らしい。南無はまた、オームのことでもある。意味は深遠だ。オームは世界の鼓動、あるいは真理そのものを言語化したものだ。だから簡単に解釈すると、「あなたの中にある世界そのものを礼拝します」みたいな意味になってしまう。すばらしい言葉には違いないが、確かに気軽には使えない。ちなみに、もしナマスカールと挨拶したいなら、必ず合掌すること(少しひじを横に張るのがインド式だ)。なぜなら、これはあなたの目の前にいる矮小な(?)人間に向けて行うものではないからだ。その相手の向こう側にいらっしゃる神様に向けて行うものだといえば、理解してもらえるだろうか。
いずれにしろ、インドの旅に挨拶はあまり必要ない。会っていきなり用件を話し出すインド人は無礼でも何でもない。僕たち人間は、牛や犬に比べ、どこが一体偉いのか?決して偉くないんだよ、という尊い教えがまずあるのだ。もちろん、まったく挨拶しないのも不便だというなら、「ハロー」とか「ハイ」などと挨拶すれば、インド人も気軽に応じてくれる。
インドでナマステ以上に聞いたことがないのが感謝を意味する「ダンニャワード」だ。それを町で耳にしたのはわずかに2.3回ぐらいだろうか?あとは飛行機のアナウンスで聞くだけだ。もちろん、何か買い物したり、ホテルをチェックアウトするときには「サンキュー(タンキュウーと聞こえる)」と言われることがあるが、「ダンニャワード」とは決して言わない。どうしてか?
これもナマステと同じような理由による。例えば、あなたが何かの買い物をある店でする。この場合、助かったのはどちらなのか?あなたが買い物をしたお陰で店は助かるが、店がなければあなたが困る。サービス過剰の日本人には分かりにくいことだが、すべては天の配慮によって役割分担しているだけのこと。一部の人は、客から支払われた紙幣を額にかざして祈ることがあるが、これは神様に感謝しているのであって、客であるあなたに対するものではない。
それにしてもインド人って理屈っぽいな、と思うかもしれない。確かにインド人は理屈っぽい。一般人と話をしていても、結構こうした理屈がインド人の口から語られる。何しろ数千年にもわたり理屈をこねてきただけのことはある。しかし、彼らの理屈は、あの深遠かつ不可解なインド哲学を生み出しただけではない。数字の0を発見し、そしてE-Mailを発明した。こうしてホームページを作成できるのも、じつはインド人のお陰なのだと思うと不思議な気がするが…。
(追記)
インドの挨拶ではナマステが有名だが、実際はナマスカールを耳にするほうがずっと多い。また、意外と多い挨拶が、「ラーム、ラーム」、これもやはり神に対する呼びかけの一種だ。サドゥーはよく「ハリョー」と挨拶してくる。最初、「ハロー」が訛っているのかと思ったが、じつはこれ、「ハリ・オーム」である。「ハリ」はビシュヌ、転じて神、「オーム」はこのページの最初に書いたとおり、宇宙そのものである。結局、「ナマステ」も「ナマスカール」も「ラーム、ラーム」も「ハリ・オーム」もすべて神にささげる言葉であったのだ。
|