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死者の街バラナシの起源とは?

死者の街バラナシ

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インドといえばバラナシ(ヴァラナシ)、というのが日本人旅行者の常識らしい。短期旅行者も長期旅行者も必ず一度は訪れる。反対に、西洋人はそれほどのこだわりを持っていないようで、バラナシって日本人だらけね、と眉をひそめたりしている(個人的には、西洋人だらけ、というのはもっと嫌だが…)。

バラナシといえば、ガンジス(ガンガー)川沿いのガートで人々が沐浴する風景は非常に有名だ。確かに魅力的な場所だがあまり好きにはなれない。治安も良くないし、飯もまずい。街は汚く、どことなく死臭が漂っている。宗教行事のたびに道路規制が行われ、変なところに宿を取ると大変なことになる。夜中に、寺から大音量の音楽が鳴り始めて眠れなかったこともあった。それが祭りだというならまだ諦めもつくが、見ると誰もいなかったりする。

バラナシで体調を壊す旅行者も多いらしい。入院した、という話も珍しくない。赤痢や肝炎などが多いが、犬に噛まれて病院に行く旅行者もいるようだ。僕自身もかつて、この街で下痢に悩まされた。原因は水だと思うが、そればかりではない。何か得体の知れない負のパワーが街全体を覆い尽くし、そのなかで自分も衰えていくような焦燥を感じ続けた。では一体、バラナシを支配する負のパワーとは何だろう?

フォトエッセーの第四回「サンガムに集う」で、サンガムは棄民たちの避難場所として発展したのでは、と書いた。遠く故郷から逃亡してきた人々が、放浪の果てにたどり着いたのが、三つの川が合流するサンガムだったのでは、と。そうであるなら、サンガムはその始まりからあまり幸せな土地とは言い難く、今も怪しげな雰囲気を色濃く残しているのも十分に納得できる。同じように、バラナシについても似たような事情があったのではないだろうかと想像している。

インドでは、聖地のことを「ティールタ」と呼ぶ。「浅瀬」を意味する。三つの川が流れ込み、その土砂が浅く堆積したサンガムはまさしく浅瀬に違いない。ではバラナシはどうか?これを検証する前に、もう一つ、コルカタ発祥の地であるカーリーガートを見てみる。カーリーガートは、ガンジス川の支流であるフグリー川のそのまた支流がまるで池のように淀んだ場所にある。浅瀬といえばまさしく浅瀬だが、今はゴミがたまり、腐臭が漂う場所となっている。いつ頃からこんな汚い姿になったのかは不明だ。ただ、その風景を眺めていると、どうして「浅瀬」を聖地にしなければならないのか、という疑問が湧き起こる。

バラナシについてだが、地図を見ると、街はガンジス川が北から東へと急激にカーブするその外側に位置している。反対に、対岸であるカーブの内側は何もない河原で、その奥には不可触民と思しき人々が住む村がある。一般の人々は、対岸を死者の世界、あるいは不浄な世界だと考えているが、その認識は正しいのだろうか?例えば、この地理的環境を風水で読むとすると、逆にバラナシこそ最悪の相と出るのではないだろうか?大河ガンジスのあらゆる力がヴァラナシの街にのめりかかる、あるいは突き刺さる凶相である、と。逆に、急激にカーブする川の内側は墓を作るには最高の場所であると風水では考えるからそれは理にかなっている。バラナシの対岸こそが、死者の魂のおもむくあの世であるからだ。風水は古代の地理学と考えるなら、その理論をバラナシに当てはめることは十分に可能だと思う。

そこで僕はある推理をしてみた。バラナシの地理的な状況からして、この地に大洪水が起こるたびにおびただしい数の死体がヴァラナシの岸辺に打ち上げられたか、もしくは岸辺近くの浅瀬や淀みに漂っていたのではないか、と。少なくとも、現在の地理的状況からもそれは十分に想像できる。やがて、噂を耳にした様々な人々が惹きつけられるようにバラナシの岸辺にやってきた。彼らは死体を弔い、そしてまた、その凄惨な風景から新しい人生観を生み出した。それは例えば、仏陀がある死体を見て出家を決意したように…。(死体が徐々に腐敗するさまを観察しながら瞑想する修行が中世日本で行われていた。その起源はもちろんインドだと思われる)

バラナシは、別名「マハーシュマハーナ」と呼ばれる。「大いなる火葬場」を意味するという。街には今も大きな火葬場が二つある。バラナシの火葬場は非常に歴史が古く、神話の上でも、若い頃のシヴァが悪鬼を引き連れてうろうろしていたのがやはりバラナシの火葬場であった。先日見たテレビでもバラナシの特集があったが、英国植民地時代に火葬場を移動しようとしてしたイギリス当局が頑強な抵抗にあったという。結局移動を諦めたイギリス当局は、「火葬場のためにバラナシという街があるのだ」と結論付けたという。もっと言えば、この街は死者のためにあり続けているともいえるだろう。では一体、どうして死者の街になったのかといえば、それは先に書いたように、この地におびただしい死体が流れ着いたからではないのか…。ただし、これはあくまでも個人的な憶測の域を出ない。

ともあれ、バラナシが異常な街であることは間違いない。その起源は不明だが、数千年、あるいは数万年の長きにわたり、街は死者のためにあったのだ。それを承知で滞在するなら、飯がまずいとか、治安が悪いとかいう様々な愚痴には意味がないことがよく分かる。(2004年秋)







サドゥ 小さなシヴァたち

インドの放浪修行者
サドゥの本へのリンクです。
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