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旅の原点 ビハールへの旅

美しいインド

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十五年前、はじめての海外でインドを二ヶ月旅行した。当時、英語もほとんどできず、あちこちで無用なトラブルに巻き込まれながらも、夢中にインドを巡った日々は、決して忘れることの出来ない貴重な思い出になっている。後にも先にも、あれほど中身の詰まった時間はなかった。

特に印象的な光景がある。旅も一ヶ月を過ぎた時のことだった。僕は山の街ダージリンから丸一日ほどかけて列車、バスを乗り継ぎ、ビハール州のパトナーという街にたどり着いた。前日の列車では寝台を取れず、突然乗り合わせてきたインド兵に混じって床で一夜を過ごした。ライフル銃にはさまれて寝るのは無論はじめての体験で、僕はちょっと興奮状態にあったのかもしれない。パトナーで降りたあと、インド人の忠告を断りあえて先を急いだのは無謀だった。すでに昼の三時をまわっていた。これからラージギールを目指すとなると、到着するのは当然夜中になるのは分かっていたはずだが、どうして行く気になったのか?今となっては謎である。

この移動は最初からつまずいた。駅前の客引きから偽チケットを買わされ、バスの車内で大喧嘩をしてしまった。これまでのストレスが爆発してしまったのだ。やがて動き出したバスは、漆黒の闇をクラクションを鳴らし続けながら暴走した。ビハールは、インドでももっとも粗雑な雰囲気が残る土地柄だった。三時間ぐらい疾走を続けた頃、バスは突然止まった。ラージギールまでは行かないんだよ、と車掌に言われ、僕は仕方なくバスを降りた。僕は車掌に言われたとおり、近くにいたサイクルリクシャーをつかまえ、鉄道駅まで、と告げた。

ビハールの大地は夜の闇に閉ざされ、静まり返っていた。何もない平原がどこまでも続いているようで不安だった。今は、当時のことをまるで幻想のようにしか覚えていないが、真っ暗な田舎道を、ガタガタ走る、すわり心地の悪いシートから幌越しに眺める夜空はこの世のものとは思えないぐらいに美しかった。すれ違う農民はみんな白い腰布をまとい、頭からすっぽりとショールをかぶっていた。もう数百年以上も変わることのない土俗的で幻想的な世界がそこにあった。

その後、ほとんど人気のない鉄道駅で、さらに一時間ほど待たされたと思うが、記憶が定かではない。多分、少し放心状態で闇を見つめていたに違いない。ほとんど寝ずの移動を始めてそろそろ30時間がたとうとしていた。ようやく列車が来て、暗い車内で不安な数時間を過ごしたあと、真夜中を過ぎてようやくラージギールに到着した。駅前は荒涼とした草原が続くド田舎で、しばらく呆然としていたら、親切なインド人がツーリストバンガローまで連れて行ってくれた。幸いツーリストバンガローは客がおらず、僕はベッドが六つも七つもあるような大部屋で一夜を過ごした。

次の日、夕暮れ時、僕は心地よい風を受けながら、庭の片隅に腰を下ろしていた。当時カメラはなかったから、僕はただ、黙って空を眺めていればよかった。空が真っ赤になった頃、辺りが急にざわめき始めた。庭にあった巨大な樹に、無数の鳥たちが群がり始めたのだ。眺めると、遠く彼方から、まるで空を舞う虫の大群のように鳥たちが続いている。インドは言いようもなく美しかった。  

僕は幸運にも、最初の旅でインドを肌で感じることが出来た。あの無謀な旅がなければ、インドにこれほど通いつめることはなかったと思う。それにしても、どうしてあれほど世界は美しく見えたのか?思うに、多分、僕は擦り切れた靴底のように疲れきっていた。そして、それまで鎧のように心を被っていた様々な固定観念が、あの時ふっと消え去ったのだ。それはたった一瞬であったにせよ、本当に無垢な世界を体験した。それは例えるなら、ブッダが死への旅路の途上、「世界は美しい」とため息をついたように…。(2004年秋)







サドゥ 小さなシヴァたち

インドの放浪修行者
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