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ファテプル・スィークリー

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タージ・マハルのたつアーグラーの南西40キロの地にムガル帝国を象徴する都城がある。「勝利の都」を意味するファテプル・スィークリーだ。建造は1571年(1986年世界文化遺産指定)。

この壮大な都城を建造したのが、ムガル帝国第三代皇帝アクバル。聡明で寛容な精神を持った皇帝は、その理念をこの新しい都に凝縮しようとしたらしい。ファテプル・スィークリーの中には、イスラムとヒンドゥーの融合を感じさせる意匠が数多く取り入れられたという。

ファテプル・スィークリーはモスク地区と宮殿地区の二つに大別される。まずはモスク地区から見ていく。

まずは上下の写真。モスク地区の正門であるブランド門(勝利の門)。赤砂岩と黄砂岩を用いた組み合わせに白大理石の象嵌細工を施している。巨大かつ壮麗な姿が遠くからも目立って大変美しい。


(上の写真)モスク内から裏側の門を見たところ。

(下の写真)モスク内の天井。


(上の写真)モスク内部。

(下の写真)サリーム・チシュティー廟内部


(上下とも)ここからは宮殿地区。シンプルかつ優美な赤砂岩の建物が広い敷地内にいくつも点在している。


建物内部に入ると、イスラムとヒンドゥーの融合を強く感じさせてくれる。柱に刻まれた模様もどこかヒンドゥーの香りがする。


(上の写真)いつもインドで感じるのが夕暮れの美しさだ。計算された大きな窓を通して眺める夕暮れの光と緑の木々が大変詩的である。


下はパンチ・マハル、五層閣である。シンプルな建築物が夕方の光でたたずむ様は非常に静かな印象を持つ。

新たな理念の象徴として建造されたファテプル・スィークリーであったが、完成からわずか14年後、この都城は捨てられた。原因は水不足であったとされている。ムガル帝国はその後も躍進を続け、世界最大規模の帝国として繁栄を極めた。ファテプル・スィークリーはその原点でもあったのだ。

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