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カタラガマ苦行

南アジアにおける最南端のヒンドゥー聖地、それがカタラガマである。 「地球の歩き方」には「スリランカに住む人々にとっての精神の最南端」と書かれているが、スリランカをも含めたヒンドゥー世界の最南端と呼ぶにふさわしい。

カタラガマはジャングルの中にある。すぐ隣にはヤーラ国立公園という大自然が広がっているのだが、カタラガマはまさにその表玄関に位置しており、ここが古来から人間世界と自然世界(神々の領域)の境界線としての役割を果たしていたことが理解できる。

聖地カタラガマは神の名前に由来している。カタラガマはシヴァの息子ムルガンと同一視されており、一心に願えばどんなことも叶えてくれる強力な神様として知られている。そのため、ヒンドゥー教徒のタミル人はもちろん、仏教徒のシンハリ人にも人気があった。 しかし最近、カタラガマは仏教国スリランカの国家権力の影響から、じょじょに仏教の聖地として、その姿を変えつつある。その背後に民族間の問題があるのは言うまでもない。

そんなカタラガマにあって、一年に一度、ヒンドゥーパワーが炸裂する祭がある。夏に行われるペラヘラ祭の期間中、仏教徒を上回るヒンドゥー教徒がこの聖地に押し寄せ、力を尽くして苦行を行う。その様子はフォトギャラリーに掲載したとおりである。

カタラガマペラヘラにおける苦行の位置づけを説明しておきたい。実は苦行は非公式のものであり、夜に行われる整然とした行進がこの祭の主要な行事となる。寺院の事務所の人間から言わせると、「苦行など知らん!」ということになり、苦行者は軽蔑の対象でもあるのだ。

苦行者たちは、カタラガマ神殿のある森と街の境界である、マニック川の手前から出発する。ここに苦行者のための仮小屋が二つあり、備品や音楽隊などを貸し出している。マニック川はいわゆる三途の川であり、ここから先は神の世界であるとともに死の世界でもある。

苦行者は川を渡り、カタラガマの神殿を巡って再び仮小屋に戻るまでの数十分間、あるいは夢心地であり、あるいは臨死経験の真っ只中にいる。つまりこの苦行は、死の世界を疑似体験することによって新しい生を得る、という意味を密かに持ち合わせている。

苦行は一般人によって行われている。特に決まった組織などもなく、例えば仮に私が志願すれば、その場で口に釘を刺され、華々しい音楽対とともに送り出してくれるだろう。ただし、たとえそこまでしなくとも、「カヴァディー」と呼ばれる天秤棒と捧げ物を持てばそれで十分であり、皆が苦行に身を投じるわけではない。

苦行を志願するものは、そのほとんどが喜び勇んでそれを行う。直前になって怖気づくものもなかにはいるが、釘を口に刺され、刺激的なドラムの音とともに踊るうちにいつしか正気を失い、気が狂ったように走り回ったり、雄たけびをあげたりする。こうした行為は神を祝福するものであるからまったく問題にならない。神は時に荒れ狂う自然(すべての現象)そのものでもある。

私はカタラガマ滞在中はずっとマニック川沿いをうろうろし、苦行者と一緒にカタラガマ神殿までひとまわりする、といったことを何十度となく続けていた。だから写真のほとんどがそのあたりのものである。

苦行者もそうだが、この界隈でうろうろする連中というのはやはりアウトサイダーである。社会のアウトサイダーであるというのは、逆に言えば、神の世界に受け入れられる余地が、まだ一般人より多いことをも意味しているわけだが、だからこそカタラガマは「精神の最南端」であり続けることが出来るのだろう。

カタラガマ苦行祭は南アジアの祭の中で、もっとも心に残るものの一つであった。ただし、タミル人の苦難の歴史を思えば、そこに燃え尽きようとする蝋燭の炎の最後の輝きを見たようで、切なくもある。

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一部、夜に行われた苦行者の写真があるが、それはイスラム教徒によるものである。カタラガマのなかにはモスクもあり、祭のためにイスラム教徒の苦行者がやってきて、実演していたものである。

一人、いわゆる名人がいて、彼は取巻きから一般人まで、ともかく長い釘で刺しまくる。もちろん血も出ないし痛みもない。最後はとある人の頭に釘を差し込んだが、彼もまた無事生還した。頭に釘が打ち込んだ写真は出来が悪かったので掲載していないが、直接見た感想としてはたしかにそう思えた。

ちなみに名人は物静かで鷹揚、なかなかの人格者と見受けられた。もちろん、威張り腐ったりすることは決してない。


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