椰子の森が続く南国の楽園ケーララ。 その独特の文化が守られてきたのはこの広大な森のお陰だと言えるだろう。それはまさに自然の要塞である。森の中を縦横無尽に走る無数の水路とあいまって、敵対勢力が領内に入ることを監視し続けてきた。
森は母なる大地であり、人々は常に森に守られながら生きてきた。ケーララの豊かな自然、穏やかな人々、多彩な文化芸能は森によって育まれてきたといえるだろう。 しかし一方で、森は人々を影で支配し、じわじわと圧迫してきた側面もある。人々は外敵の侵入しない森の中の村でただ安穏と暮らしてきた訳ではないのかもしれない。 無限の森に蠢く魑魅魍魎(ちみもうりょう)の影が常に村に暗い影を落としてきた。ゾウや虎などの野獣の脅威、暴風や洪水といった自然災害、さらには森の奥深くに居住する正体不明の先住民、マラリアをはじめとする恐ろしい疫病の数々。恩恵と恐怖のあいだを人々は揺らぎ続けてきた。 そんなケーララの大自然を象徴する祭りがある。それがこのギャラリーで紹介するテイヤムである。華美な衣装と奇抜なメーキャップをほどこした神が、突如森からあらわれ踊狂う。人々はこれを慰め祭上げることで、無事に森に帰ってくれるようにと懇願する。 テイヤム、とは「神」を意味する古語である。しかし、テイヤムに登場する「神」は異質である。悪趣味であり悪魔的である。でもだからこそ、人々はすぐにその世界に没入できる。この神はまったく偽善的でないばかりではなく、本質はそのほとんどが動物や植物の根源の力、そして病気や日々のトラブルといった現象、そして亡霊や怨霊といった人々の想像力そのものを象徴しているし、それは隠されていない。それはなんとも偽悪的でありまた魅力的でもある。 はじめてテイヤムを見たとき、私はとっさに「これはインドのなまはげだ」と思った。なまはげに登場するのは神ではなく鬼だが、それが意味するものはテイヤムとなんら変わりない。いずれにしても、その背後にあるものは大自然であり、そこにははっきりと人間社会への否定が感じられておもしろい。 テイヤムの歴史は不明だが、どうやら2000年前にはその原型があったこと、そして北インドに起源を持つことなどが指摘されている。ただ、北インドに起源を持つのはその衣装装束、そして儀礼の方法などであって、本質的な起源はケーララの自然そのものにある。 テイヤムは森の中の小さな祠を中心に行われる。テイヤムダンサーは祠の中に入ることで命を得、神となって踊り狂う。祠は一年に一回、テイヤムの祭りで使用されるほかは放置されている。はじめてテイヤムを見た村で聞いた話によれば、普段は怖くて近づけないのだという。その村のテイヤムは昼間のみの行事であったが、想像するに、夜はあまりに恐ろしく、実行不可能と考えたのではないだろうか。 |